Contrary

もしもの話、なんだけど。そんな枕詞を付けて話せば、どうせまた呆れたような顔で彼は僕に尋ねるのだろう。思いながら、リーオは真向かいに座るエリオットをちらりと見やる。たぶんいつものように、焦れたように少し急いて、「何だって急にそんなことを言い出すんだ」って。

いつだって正しさを求めるエリオットは、曖昧な事柄をことさらに嫌う。「もしも」だなんてもってのほか。だからあまり仮定の話を繰り返してばかりいると、エリオットはそのうち我慢しきれず怒り出してしまう。

――だけどね、これは本当の話。ただひとつだけ僕が君に隠している罪なんだ。小さく音を立ててティーカップを置いたリーオは、それとなさを装って、手にしていた本から視線を離す。

――それは何よりも重い、生まれた時から背負うべき咎。手放そうとしたって手放せない、紛れもない罪の子の証。

「あのさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」

リーオはそう一言切り出して、見返すエリオットを真っ直ぐに見据えた。真実を伝えられないのは、いずれ全てが壊れてしまうことを知っているからなのか、それともただの逃避に過ぎないからなのかは分からない。逃れられない運命が日ごとに迫っていることを知っているはずなのに、今この時は確かに穏やかで、それが限りなくいとおしいと思えてしまう。

――いっそ出会わなければ、負に満ちた連鎖は無に還っただろうか。リーオは時々考えて、そのたびにそれを打ち消しながら生きてきた。本当に運命の糸が繋がっていると言うのなら、たとえどれほど些細なきっかけであってさえ、僕たちは出会わざるを得なかったのだろう、と。

「もしもの話、なんだけど。僕とエリオットが何もかも逆だったとしたら、……どうする?」
「……逆?」

逆ってどういう意味だよ。不審そうにそう言ったエリオットに、リーオは珍しいほど真剣な表情で問い返す。

「つまり、僕がご主人様で、君が従者だったら、ってこと」
「何だよ、その妙な仮定は……」

見るからに疑念いっぱいの顔をして、エリオットはその場に小さな溜め息を落とした。リーオが突飛なことを言い出すのは日常当たり前の光景だけれど、こうまで現実離れしたことを語り始めるのは珍しい。

「……まあいいじゃない。それで僕が作ったのはレイシー。君が作ったのは……」

スターチス。――なんて、ね。そこまで言ってからようやく冗談めいた笑みを浮かべて、リーオは「どう?そういうのも」と問いかける。その一文に呆れ顔のエリオットを見て取って、痛む心をひた隠しに笑みを続けた。

どれほど真実を語っても、エリオットは僕の空言くらいにしか思わないんだろう。リーオは思う。時折エリオットとの会話がかみ合わないことがあるのは、きっとあの日の出来事のせいだ。それらしい話題になるたび、エリオットは違和感のあることを語って、それを自分の真実だと信じて疑わない。

冗談めかしたこれだって、本当は嘘偽り無い「本当」なのに。けれどそれを伝えてしまったら、エリオットはこのままでは居られなくなるだろう。だってもう、飽きるほどにエリオットの在り方を知っている。真実を知ってしまったら、きっとエリオットは自分自身を許さない。――それを分かっている。だから。

「おまえが主人、か。……考えただけで頭が痛ぇな」
「えー、そうかなぁ。案外いいご主人様になるかもよ?」

たとえばほら、百年も前に君のことを愛してみせた、あの当主様みたいに。言葉にはせずに自虐気味にそう思って、リーオは小さく息を吐く。

僕に力があったなら、たぶん命にかえてもエリオットを守りたいと思うだろう。だけれど現実には手出しをしないことが得策だとわきまえているし、守られるのも悪くないと思うから、積極的にそうしているというだけで。

「……ったく、何を根拠にんなこと言うんだよ」

言ってから、エリオットはティーカップに注がれた紅茶へ静かに口をつける。特に何の疑問も抱かない呆ればかりの表情に、リーオはひどく不安定な安堵を覚える。同時に、少しの焦燥と寂寞。

「ほら、前世とかってあるじゃない。もしかしたら前世では僕がご主人様で、君は……たとえば僕の恋人だった、とか」
「どうしてそこで突然恋人が出てくるんだよ。従者の話をしてるんじゃなかったのか?」
「んー、それはそうなんだけど。でも、前世が恋人同士っていうのもよくある話じゃない。……僕はそういうのも有りだと思うんだけどなぁ」

そんな言葉を口にしながら微笑んで、リーオはエリオットの様子を窺う。思い出してほしいわけではない。思い出してほしくはないと願うのに、こうしてギリギリのところまで話してしまいたくなるのは、終始食い違ってしまうそれに耐えられないから、なのかもしれない。

「どんな前世があったところで、オレはオレだろうが。昔のオレがおまえの従者だろうが恋人だろうが、今のオレはおまえの主人だからな。それ以上のことに興味はねぇよ」
「……うん。それもそう、なんだけどね」

けれど連鎖を断ち切れないまま、過去まで自分の一部として彼らは持ち越して生きている。エリオットはそれを知らないけれど、彼とてまた運命から逃れられない存在に違いはないのだ。

こうして二人が当たり前のように時を過ごす現実だって、本来は定められた理に導かれてもたらされたものに過ぎない。それを受け入れてさえ共に生きていたいと願うあまり、いつか清算しきれないほど惨い破滅が待っているかもしれないのに――「運命」というひどく単純な言葉を、リーオは今も否定出来ずにいる。

「エリオットはさ、偶然とか必然とか、そういうのって信じる?」

何気ない調子で問いかけてから、リーオは目の前の本を抱えて立ち上がる。とても本を読む気分ではなくなってしまったのか、その答えを直視して聞けそうになかったのか――はたまたそのどちらでもあるのだろうか、それは分からなかったけれど。

もとより、エリオットは確定的な未来を嫌う。偶然も必然も無く、未来はいつでも自分の手で切り開かれるべきだと信じている。だからこそ、リーオはこんな問いかけが無意味であることを知っているはずなのに――手持ち無沙汰に浮かぶ空白を、こんなありふれた言葉でしか埋められない。

「んー……たとえば、エリオットは僕と出会ったことを必然だと思う?」

どうやら答えあぐねているらしいエリオットを垣間見て、リーオはさらに踏み込んだ問い掛けで答えを迫る。答えを受け取ることがそれはそれで怖いと思うのに、どうしてだか聞かずにはいられない。

そもそも僕は偶然、という言葉を期待しているのだろうか、必然、という言葉を期待しているのだろうか。思いながら、リーオは答えを待ち続ける。

――それとも、あるいはもっと革新的な答えを求めているのだろうか。心の中で繰り返し、リーオは自らに問い掛けの意図を請う。エリオットしか持ち得ないただひとつを受け入れることで――たとえば僕自身が、エリオットが確かに過去とは違う存在なのだと信じたいのだろうか、なんて。

そうして投げかけられた問いに、エリオットは頬杖をついたまま正しい答えを模索する。自分にとって正しい解答がいったい何なのか、その答えを見つけられないまま少々。

「そういうおまえはどう思うんだ、リーオ?」
「僕?……僕はね、偶然だって思いたいかな」
「思いたい?」
「別に深い意味はないよ?何となく、これも必然だったらいやだなって」
「……おまえはやたら運命やら必然やらを信じるような奴だと思ってたが」
「えー、そんなことないよ?……そんな時だってあるでしょ、誰にだって」

もちろん、君にも。言葉にはせず、リーオは内心だけで自嘲する。一度も途切れず続いてきた僕までの、おとぎ話みたいなずいぶん酷い必然とか――たとえば犠牲になるしかない運命を背負った、あまりにも不公平な必然とか。

そういうの全部、否定してみたい時だってあるんだ。心の中で吐息して、リーオは精一杯に笑ってみせる。意識的であれ、無意識的であれ、君のようにすべてから逃げてしまいたい人がいるように。逃れたくても逃れられない、僕みたいに不自由な人間がいたりすることも、――全部が偶然だったらどんなにいいか。

「偶然だったらほら、君が僕を選んだことだって、君の意思に間違いないわけじゃない?」

もしも過去の因果が無かったなら、エリオットは僕を選ばなかったかもしれない。それを考えるたび少しだけ、これが必然であって良かったと、そう思ってしまう自分を肯定出来ない。こうやって矛盾を抱えてばかりいるからいつだって、君だけを残して、他の何もかもを否定したくなってしまうのに。

「……おまえの言う必然とやらなら、オレがその必然のせいでおまえを選んだに過ぎないとでも言いたいのか?」
「そうだよ。……なんてね。そうじゃないかもしれないけど」
「なんだよ、先から。何かあったのか?」
「ううん?……誰にも分かんないはずなんだけどね、そんなことは」

でも、やっぱり気になるんだ。それだけ。小さな声でリーオは言って、不安定なふうにふわりと笑う。正反対に歪むエリオットの言葉を耳にするたび、これが現実なのだと冷酷な運命に縛られる。

慣れてしまったと錯覚するほど幾度も繰り返されたそれは、エリオットの真実となって今も彼の中で正義を気取るから。

――それでも。それでも出会わなければ良かったと、言えない。無慈悲な繋がりに否定すら突きつけられないのに、今この瞬間は限りなく幸福なそのことが、どうしようもなくやりきれなくて、どうしようもなく、苦しい。

――だって、愛さずにすらいられない、なんて。

「本当に、全部が反対なら面白かったんだけどね」

すべてを暗に言い含めて、少し諦めたようにリーオは言った。

そうだったら良かったと、心から思う。今のまま、エリオットの語るまま。たとえば彼が作ったのが「彼女」の曲で、たとえば僕が作ったのが、美しいあの花の音色だったとしたら。

ひとつの結論を胸に、リーオはひどく切なく微笑う。

――そうしたら、僕ひとりで済んだのに。誰も傷つけずに、君のために生きられた、のに。