End Clarity

「……そうだなぁ、自己紹介でもしてみる?」

そんなことを呟いて、リーオは嘲りにも似た響きで小さく笑う。それにさえどこか切なさを纏った感傷的な空間に、耐えかねたヴィンセントはふわりと笑んで息づいた。

「……従者となる私でも、取り立てた説明が必要ですか?」

責めを含まない語調でヴィンセントが問いかければ、傍らのリーオは「うん」とだけ言葉を返す。

「お願い、聞いてくれるんでしょ?……なら知りたいじゃない。そんな君がどんな人か、ってさ」

口元を微笑みに変えて語るリーオには、あまり本気めいた様子が感じられない。それでも相手のことを知らなければという考えに至るのは、ヴィンセントにしてみれば少々意外な展開だった。

どうせ二人、利害のために手を取り、滅びのために生きているような現状なのだ。互いの個人的なあれこれを知ったところで、望む結末が変わってくれるわけでもない。

ふう、と息を吐いて、ヴィンセントは思い直す。――いや、それでも、僕には彼の行動の意味が分かるような気がする。互いを知る必要の無い状況下で、あえてリーオが筋を通そうと望むのは、おそらく彼なら――エリオットなら、間違いなくそうするだろうから、だ。

単純にそれだけ。僕がギルの望む行動に準じてしまうのと同じこと。たとえばオズ君がいずれアヴィスを手に入れるための障害であることを知っていても、僕は決して彼を殺せない。それをすることで今はただ、ギルが不幸になることを理解しているからだ。

だからユラの屋敷での一件だって、僕は彼のことを守り抜いて見せたし、いっそ笑えてくるような茶番にだって付き合った。結局はすべてがギルのためにと動かされてきた結果に過ぎないのだし――つまりはリーオも同じこと。エリオットがそうしたと思えば、リーオは迷わず似たような行動を取るのだろう。それがたとえどれほど自らの性格との相違を感じさせる行為だったとしても、半ば避けられない衝動みたいなものなのだ。

誰かを尊重しようと願うあまり、それ以外の全てを無にしたって構わないと思う。そんな感情、もう飽きるほどに味わっている。自分の行動を悪だと思わないわけではないが、その全ての振る舞いに対して、誰より僕自身が仕方の無いことだと割り切ってしまえる。

――自分を罰するのは最後でいい。どうせ、僕は罰を受けるために罪を重ねているのだから。

「貴方ほどの方なら、私のことももう十分ご存知なのでは?」

本気半分、冗談半分。手近な一言を探してヴィンセントはリーオへ問いかける。彼――オズ=ベザリウスの観察眼もそれは大したものだが、その点に関してはおそらくリーオも負けてはいない。何しろこれまで言葉を交わしたことも無かったヴィンセントを前に、これほど的確なやり取りを遂げるのだから、相手を見る目は何よりも確かなのだろう。

「人を試すような言い方ってあんまり好きじゃないんだよね、僕」
「失礼。……それは私もです」
「うん。……そうじゃないかと思ってた」

言ってから、リーオはいつかのことを思い出す。いつだったかエリオットが言っていた。あいつの負けず嫌いは理不尽だ、と。そう思うのはたぶん、彼は常に自分の誇りに正直に生きるから、ヴィンセントのように「勝つためならば何でもやる」ということが出来ないせいだろう。

手段を選ばないことは、僕にとってはそれほど忌むべきことじゃない。けれど、エリオットにとってそれは禁忌だ。正しさを追い求めることが、それを自分らしさとすることが、何より彼を彼らしくさせていたから。

「……ねえ、君はさ。ギルバートと二人で居たことを後悔しているんだよね」
「後悔……というより、私自身がたまらなく憎いですけどね、今となっては」

にこりと笑って、ヴィンセントは続ける。

「……あの頃死んでいれば、ギルはもっと幸せに生きられたのに」

どんなに腐った外道より、死を選ばなかった自分が疎ましくてたまらないのだ。今更になってしまったせいで、こんなにも余計な犠牲を生んで、こんなにも疎ましい人間が増えて、確実にギルに苦難を強いている。

もっと早いうちに僕自身を消し去ってしまえてさえいれば、こんな血にまみれた世界、ギルに与えず済んだのに。

「僕は……それでも、僕がエリオットと出逢わなければ……」

ヴィンセントの言葉を受けて、リーオは思う。どうなったかなんて、あまりにもはっきりしている。

チェインをその身に宿してしまうことも、迫り来る死の恐怖も、そんな痛みの数々を、何一つ知ることなく生きていけたのだろう。おそらくは。

「個人的にひとつ、お尋ねしたいのですが」
「……いいよ。そういう時くらい、普通に話して」

堅苦しいのってキライなんだ。言ったリーオにヴィンセントは少し笑って、「そうかい?」とだけ寂しげに呟いた。

「君さ、エリオットの何に惹かれたの?」
「何に……?」
「僕がギルのことを想うのは、ただ好きだからというだけじゃない。けど、君は違うよね。縛られていると知らないまま、君は彼を選んだんだ。……それがずっと疑問だったんだよね。所詮、ちょっとした好奇心だけど」

何しろ彼らはあまりにも違う。同情を得るのにあれほど困難な相手も居ないだろうし、そもそもエリオットは正義感に満ちあふれすぎていた。常に前を向いて進んでいく彼の隣に立つことは、想像を絶する体力を必要とするだろう。

それでもリーオが彼を失いたくないと願い、その死に紛れもない絶望を覚えて今、こうしていることは事実なのだ。ヴィンセントにとっては不幸の発端――エリオットがリーオを望んだこと――よりも、リーオがその手を取った理由の方が、余程興味の対象と成り得ていた。

「君ってそんなこと気にするタイプだったんだ。……ちょっと意外かな」
「好奇心だって言ったでしょ?どうでもいいけど、気になるんだから仕方ないじゃない。……どうでもいいなりにね」
「……ふーん」

知識欲とか、そういうことにはまるで興味の無い顔してるけど。思いながら、リーオはしばし黙り込む。あの時手を取ったのは、取らなければならないと思ったから。それ以外に理由は無い。彼を好むようになったのだって、正確な理由は今になっても分からないままだ。

僕は彼の真っ直ぐさが好きだけれど、熱くなりやすくてすぐに怒るところは嫌いだ。都合が悪くなるとすぐに主人の立場を持ち出して僕に喧嘩を吹っ掛けるところとか、そんなところに我慢がならないこともある。周りが見えなくなるせいでエリオット自身が傷つくのだって、とても見ていられたものじゃない。

けれどそれさえも、結局のところは好きなのだと思う。その理由を求められては、かなわない。

――惹かれたのだ、と。そう言うしかない。ただただ、どうしようもなく。

「……好きだったんだ」
「え?」
「それだけ。理由なんてないよ」

ぽつりとそう言い切って、リーオはひどく悲しい笑みを重ねる。隣に居ることで救われたかったわけじゃない。ただ、ただ隣に居たかっただけ。エリオットの笑顔を見ていたかっただけ。どんな困難にも立ち向かって、ひたすら先を追い求めるエリオットの行く末を――初めて、大嫌いなこの瞳で見届けたいと思った、のに。

「……君は?」
「僕?」
「どうしてそうまでして何も無かったことにしたいのか、まだ聞いてない」
「僕の過去の話、ってことかな。それなら今は……」
「いいから答えて」
「君、……強引で強情なところは、エリオットそっくりかもね……」

いいよ、話すから。懐かしそうに、少し苦しそうに微笑んで、ヴィンセントはごく小さな息を吐いた。思い出したくもない、忌々しい幼い頃のあれこれは、どれほど時を越えても薄れてくれることはない。

「……百年前のこの世界にはね、禍罪の子とされる人間たちがいたんだ」
「禍罪の子……」
「彼らは赤い瞳を持って生まれたただの人間。だけどね、人々は彼らを糾弾した。災厄をもたらす罪の子だなんだって、どこに行っても厄介者。……いや、厄介者以上かな?とにかく酷い有様だったよ。あいつらにとって僕らは人間じゃなかった。……そう、家畜ですらない」

何度だって死を覚悟した。眠りのさなかに襲われたこともあったし、僕らを飼い飽きた貴族に口封じのためと毒殺されそうになったこともある。それが、僕だけならばそれで良かった。

復讐になんて初めから興味は無かった。ただ、この存在を失う術が欲しかったのだ。だから、たったひとりなら――あたたかさを知らなければ――不条理に任せて無力なままで消えられた。きっと。

「……僕が生まれてきたことで、ギルは幸せな一生を失ったんだ。やっと見つけた居場所だって、結局は……」
「居場所……?」
「……サブリエには、僕らを疎まない人がいた。僕は、……その人のことが好きだった。彼は僕の瞳を綺麗だと言ったよ。信じられなかった。それからの毎日がずっと続けばと思ったね」

まあ、夢物語だったけど。皮肉っぽくそう言って、ヴィンセントは窓際の壁に背を預ける。

「……ジャック?」
「え……?」
「君を救ったのは、ジャック=ベザリウス。君たちを貶めたのは、……グレン=バスカヴィル。……違う?」
「どうして……」
「ん、分かんないよ。何となくそうかなと思っただけ。……ごめん、続けて」

少しの動揺を見せて、ヴィンセントは視線を下方に逸らす。自身の影をぼんやりと見つめながら、焦れたように言葉をつむいだ。

「……その通りだよ。グレンがギルを次の身体にと望んだんだ」
「次の身体、って。そんなことが……」
「言っておくけど、君を恨んだりはしてないよ。……持っているものが特別とはいえ、君は君だからね。……前世だとかくだらないものは、もうたくさんだ」

でも、許せなかった。奪われるなんて耐えられなかったんだ。つかえたものを吐き出すようにヴィンセントは声を発する。――そして、甘言に乗ったのだ。あの狂った扉への誘いの言葉に。

「サブリエの悲劇を起こしたのは僕だよ、リーオ」
「……うん」
「へぇ……。驚かないんだね、君は」
「……分かるから、その気持ちは」

言って、視線を動かさぬままリーオは静かに瞳を閉じる。大切なものひとつに比べれば、世界なんて些細なものだ。そう思ってしまう気持ちは、嫌と言うほど理解出来る。

そもそもエリオットと出逢うその時までは、世界そのものがどうだって良い存在だったのだ。漠然とした世界の平穏なんかより、エリオットが幸せであることを望んでいたいのと同じことだろう。

それが失われようとしている毎日を恐れたら、同じことをしてしまうような気がする。彼と。

「でも、ひとつだけ聞かせて」
「……何?」
「君は、彼と過ごして幸せだった?」

リーオは問い返す。これも結局、自らに向けられた問いと同列の問いだ。自分が心満たされるたび、大切な誰かを傷つける。それでも全てを捨てられない。罪が弱さを引き寄せるのか、弱さが罪を引き寄せるのか、そんなことさえきっともう、僕らには理解出来はしないから。

「……うん、幸せだったよ。……とても、とてもね……」
「……そう」

同じだ。運命に揺られた自分の身が、限りなく誰かを滅ぼす。その世界の傲慢さを傲慢だと罵るほど、僕らは自分自身を信じられない。結局真実は自分が誰かを傷つけたということ、それだけ。何を理由に祀り上げたところで、そんな些細なことひとつが決して変わらない。

大切なものを失って、罪の証である自分自身が生きている。――それを許せなくなる気持ちだって、今となっては分からないと、言えない。

「本当、わけ分かんない、世界……」

存在を罪だと言われるのなら、はじめから存在しなければ良かった。リーオは思う。

こんな僕らの空白が、いつか――ひどくあたたかなひだまりとなって、明るく彼らの道を照らしてくれたかもしれない、のに。