Sweetie

遠巻きにエリオットを眺めるリーオは、物珍しい光景にあたたかな眼差しを送っていた。視線の先には、いかにも幸せいっぱいの主人の姿。おそらく見られていることに気が付いていないのであろう彼の素顔は、あまりにも自然体すぎて、少しの驚きさえ覚えてしまうほど。

――ここで僕が大々的に登場してみたら、彼はいったいどんな顔をするだろう。想像するとどうにも可笑しくなってしまって、リーオは誰に見せるともなくひどく優しげな笑みを湛える。

大方予想は付くけれど、もう少しここは様子見。思っていると、件の方向から声が届いた。

「ちょ……おい、いっぺんに寄ってくるんじゃねぇ!」

オレが動けねぇだろうが。慌てたようにごちるエリオットのある意味悲愴な声を聞いて、リーオは再度エリオットへ注意を向けた。白、黒、灰色にまだら模様。色とりどりの小動物に囲まれたエリオットは、口では怒っているけれど、語調はまるで喜びを隠し切れていない。

この晴天だから、彼らは日当たりの良いこの場所に会してみたのだろう。警戒心も弱まって、くつろぐ猫の巣窟は、エリオットにとってみれば無視を決め込むことすら難儀な空間だった、のかもしれない。

「ったく……」

ふう、とわざとらしく呆れの溜め息を猫だらけの空間に落としてから、エリオットは彼らのうちの一匹をくしゃりと手荒く撫でてやる。その表情があからさまに無邪気で満足そうだったから、愉快さとは別の感情に支配されそうになって、リーオは小さく視線を流した。

「……なに、その表情」

ぽつり、自分にだけ届く程度の声音でリーオは呟いて、戯れの一団をもう少しだけちらりと見やる。

あれほどに手放しで喜びを前面に押し出すエリオットは、たとえリーオであってもあまり目にすることは出来そうになかった。元来素直な性格ではないから、嬉しいと照れはするけれど、思い切ってあんなふうに感情を露にしてしまうことは少ないのだ。

普段からそれが明確に出されるのは主に怒るときのみだから、いざこうしていつもと異なる様子を見せられると少し戸惑う。無防備さがしっかりと様になっているあたり、なんだかとても気に入らないような。そうでもない、ような。

「……ん?」

リーオがそんなことを考えていると、エリオットに構われて気を良くしたのか、先ほどの猫が彼に擦り寄るのが目に入った。続けてみゃあ、と心地良さそうに鳴いたその一匹を皮切りに、校舎裏の一角には合唱のような鳴き声がこだまし始める。

「おい、お前ら!そんなに鳴いてんじゃ……ったく、何だってまた……」

四方八方からの視線を受けて固まりきったエリオットを意にも介せず、猫たちは寄ってたかって彼に向かって身を寄せる。おそらく予想以上の反響にどうしていいかが分からなくなっているのだろう。嬉しさに交えて盛大に困ったふうのエリオットの表情は、あまりに形容しがたく複雑だ。

その現実離れした光景にとうとう堪えきれなくなったのか、傍らに身を潜めるリーオは肩を震わせるようにくつくつと笑う。笑って、これ以上は限界とばかりに姿を現した。

――どうやら必要以上に動物の類になつかれてしまう性質みたいだ、エリオットは。それを思えば思うほど尚更泥沼にはまってしまって、主人に呼び掛けることも忘れて涙が出そうになるほど笑ってみれば、ふいの異変に気が付いたのか、エリオットがぐるり、彼の方を勢いよく振り向く。

それからすぐ。リーオの姿を認めると、「やってしまった」と言わんばかりに、彼はがっくりとその肩を落としてみせた。

「……何でおまえがここにいるんだよ、リーオ」
「んー?別に理由なんてないよ。たまたま君を見つけただけ」

恥ずかしさからかリーオとは目を合わせずに問いかけてはみるものの、会話が一瞬で途切れてエリオットは無力感に襲われる。取り繕う段階ですらないので、諦める準備に取り掛かれば、リーオが追撃の一文を投げつけた。

「……猫、好きなんだ?」

ちょっと意外だったかも。まだ余韻が抜けずにリーオが可笑しそうにそう問えば、エリオットは「笑ってんじゃねぇ」と拗ねたように視線を逸らす。

「別にいいけどさ。……でも、エリオットにかわいい物って、……なんか、こう……」

――似合わないよね。そう言い切ることも出来ずにもう一度吹き出して、リーオは失礼も省みずに目の前の光景を一笑に付した。完全に予想外の方向からアプローチが来たものだから、どうやって抜け出せば良いものやらタイミングが掴めない。

可愛らしい、なんて言ったら当分口を利いてくれないほど機嫌を損ねてしまうだろうし、かと言って、冷静に受け流せるような案件ではない。どう考えても。

「好きならこそこそしてないで、堂々としてればいいのに」

あくまでもそうやって隠そうとするところが、余計にエリオットらしくて笑えてしまう。リーオは思ってから、駆け寄ってきた猫を一匹抱きかかえてやる。先ほどエリオットの手のひらに触れられた彼は、人なつこくリーオにも頬を寄せるから、何となくかかえる腕に力を込める。――ぬくもりが連鎖しているような、どうにも得がたい不思議な感覚。

「……家の連中がどいつもこいつも犬派だなんだとぬかすからな」
「へぇ……。って、味方、ひとりも居ないの?」
「――。まあな……」

情けなさそうにエリオットはそう言って、ナイトレイ家の共通見解を遠目に思う。兄らは敬虔な犬こそが正統派であると言い張るし、姉は従わぬものにはまるで意味が無いと切り捨てる。上の義兄はまだそれほど何物をも無碍にはしないが、下の義兄の発言たるや、もはや思い出したいとすら思えない。

「うーん……僕は好きだけどな、猫って」

自由そうでいいじゃない。言ってから、リーオは腕の中の猫に小さく笑いかけて、彼を群れのもとへと離してやった。いともあっさりと身を翻し去っていくそのさまは、いかにも気ままな猫らしくていっそ清々しい。

「でも、エリオットは犬のほうが好きそうだよね。イメージ的にさ」
「……そうか?」

リーオが言えば、エリオットは少し心外そうな顔で言葉の意図を探ろうとする。

リーオにしてみれば、なあなあなものを嫌って正義感の強いものを好むエリオットだから、淡白な猫より犬の方が好きな印象が強かった。従順でありながら意志の強い在り方が彼の目にはいつも輝かしく映りがちだから、たぶん論理的には間違っていないはずなのに。

あっちへふらふら、こっちへふらふら。まるで行方の定まっていない猫を追いかけるような真似、彼は一番に飽きてしまいそうな気がするのだけれど。

「エリオットは……うーん、どっちでもないかなぁ」

そのままぼんやりとリーオがそんなことを口にすれば、エリオットは「何だそりゃ」と息をついた。

どちらかと言えば限りなく犬に近いのだろうけれど、別にエリオットは馴れ合いを好まないし、誰かに尽くすことを望んだりはしない。自分の意志でただそこに在りたいと願うからこそ、他者に依存することで確立していようとは思わない。

「……そういうおまえは猫だな」

ふいにエリオットの言葉が割り込んで、リーオは意識をそちらに向けた。

「えー?……そうかなぁ。僕は犬だと思うけど」

言えば、エリオットはいかにも納得が行かないというふうに呆れ顔でリーオを見やった。彼にしてみれば、興味を持ったものになりふり構わず向かっていくリーオは自由人以外の何物でもないのだろう。

いや、実際のところその見解は概ね間違っているわけではない。興味の無いものにはとことん興味が無いリーオは「猫らしい」と言えば猫らしいのだし、一般的に言わせれば、ほとんどの人間が彼をそんなふうに称するだろう。

けれど、リーオにとってみれば本質はそうではなかった。たったひとりの為に付き従って、それを幸せだと思ってしまう。たとえばそこに何らかの理不尽があったとしても、それごと正しさと定義して、その為だけに生きられればそれで十分満ち足りる。

それを犬になぞらえずに一体何を「犬らしい」と呼べることだろう。自覚してしまっている自分自身に少し呆れて、リーオは優しげにちょっと笑った。

「掴みどころが無い上に自分勝手、オレを敬わない態度。……どれを取っても犬ではないだろう、おまえは」
「んー、まぁ、それも間違ってはいないけど……」

でも、なんかちょっと不思議な感じ。曖昧にそう言ってから、リーオはエリオットの抱きかかえた子猫を撫でる。「落とさないでよ?」茶化すように言ったリーオに、「誰が」と短くエリオットは返した。

「猫、なあ……」

そう一言落としてから、エリオットは機嫌良さそうなリーオをちらりと見やる。エリオットが猫を好きだと思う理由は、何物にも縛られずに潔く行動してしまえるが故だ。犬のようにひとつに執着することで、自分を省みず、ただ身を滅ぼすさまを見ているのは我慢ならないから。

「猫派、かぁ。……じゃあ、そのうち嫌われちゃったりして」
「何の話だ?」
「……それはいやだなぁ。とは言っても今更どうしようもないし……」
「……リーオ?」
「うん。君が実は犬好き、って展開に期待しようかな、僕は」
「何を言い出すんだよ、また……」

今や慣れきったリーオの一人合点に訝しげな視線をやって、エリオットは小さく頭を垂れる。要はこういうところが猫のようだと言っているのに、本人はそれをまるで問題視していない。

振り回されるだけ振り回されているエリオットに対して、あくまでもマイペースなリーオは遠慮のひとつもしはしない。結局議題ごと自己完結させて、すぐに次の話題へ移ってしまう。

「……ありゃ、寝ちゃった」

リーオがふわふわと手のひらを滑らせているうち、エリオットに抱かれた子猫がすやすやと小さな寝息を立て始めた。ずしり、と重みのある温かさに、どこかほっとした感覚が過ぎる。

「本当に無害な人間だと思われてるんだね、君は」
「……そりゃどういう意味だよ」
「褒め言葉だよ。普通、猫ってあんまり懐かないじゃない」

言いながらリーオはいとおしそうに甘く笑って、声にならない咳払いをしたエリオットに、「あ、照れてる」とだけ一言。

「……別に照れてねぇよ」
「もう……いいじゃない、たまには素直に笑ってくれたって」

ほら、さっきみたいにさ。ほんの少し嫉妬を交えてリーオが投げかけてみれば、エリオットは少しじれったそうな表情を浮かべて、「あれは忘れろ」と嘆息をひとつ。

「やだなぁ。あんなに面白いエリオット、僕がわざわざ忘れると思う?」
「……いつから見てたんだよ、おまえ」
「んー?……君がこの子たちに言い寄られる前から全部、かな」
「言い……。妙な言い回しをしてんじゃねぇ」
「別にいいじゃない、モテモテだったのは事実なんだし」

君だって悪い気はしなかったでしょ?冗談めかして伝えたリーオに、エリオットは反論する気も起きずにやれやれ、と首を振った。それに合わせて揺られる子猫は、少しも目覚めるそぶりなく、心地良さそうに眠りの中に身を留めている。

「……とにかく、こいつが起きたら帰るぞ、リーオ」
「はいはい、ご主人様」

ちゃんと待っててあげるなんて、優しいんだね。追い打ちのようにリーオが言えば、「急いでいるわけではないからな」と至極平静を装ったエリオットの言葉が響く。

――だから、ね。それを優しいって言うんだよ。

心の中で満たされたふうに呟いて、リーオは目の前の子猫に微笑んだ。