木漏れ日と君

「エリオット、どこへ行く気?」
「こんなに晴れてるんだ、わざわざ校内にいる理由もねぇだろ。外だ」

どうにか気だるい午前を乗り越えて、昼休みを迎えてから三十分。エリオットが急に「行くぞ」だなんて言うからどこへ行くのかと思えば、彼はその手に本だけを抱えてひとり外へと歩き出した。

慌てて隣に追いついてからは、エリオットが最後の授業の講師について何やかんやと文句を付けるのを、ひたすら黙って聞いていた。間違っていたら反論してみようかとも思ったけれど、実際、エリオットも憤慨するあの授業の質といったら目も当てられない。

「僕の前の子、講師に睨まれながら寝てたな。でもまあ、あの授業はやっぱりいただけないよね」
「全くだ。相変わらず口だけは立派だがな」
「……そういうエリオットも実は寝てたとか?」
「馬鹿言うな。オレは寝てなどいない」

悪評を共有しつつ笑い合って歩けば、この身の居心地の良さに拍車がかかる。元々エリオットの隣というのは僕にとっては特別な場所だけれど、そこに会話が生まれるなら尚更のことだった。

僕とエリオットは元々主人と従者の関係でもあるけれど、僕としては、それを踏み越えた少し違う関係が築けているだろうと思っていたりする。エリオットが今どう思っているかは知らないけれど、同じような感覚でいてくれたら嬉しいなとは、口に出しはしないけれど正直なところ、思う。

「この辺りなら人も来ねぇだろ」

そんなことをぼんやり考えていたらエリオットが急に立ち止まるのが見えて、少し遅れて僕もその場で足を止める。気が付けば出てきた本校舎からは随分離れたところまでやって来ていて、自分がどれだけさっきの会話に気を取られていたかを思い知らされる。

見回してみれば、どうやらこのあたりには人気がまるで無いみたいだ。元々エリオットは混み合う場所が好きではないから、自然とこういう場所を選びたがるのにも納得は行くんだけれど。

「どこか座れそうなところは……」
「あっちの方とかは?涼しそうだけど」

提案すれば、エリオットはそちらへ歩いて丁度良さげな木を探し始める。少ししてから、彼は僕が指差した先の木陰にどっかりと座り込んだ。そのままそこで持って来た本を読み出したということは、たぶん、この後の授業は全部サボるつもりでいるんだろう。

どうせこの後は説明の下手な講師の授業ばかりが続いて退屈だし、どのみちエリオットをひとりで置いておくわけにもいかない。さっさと諦めた僕は本を読み出したエリオットの隣に位置を取って、人気の無い木の下に背を預けた。

「……あ」

そこでふと、困ったことに気がついた。そういえば、今日に限って僕は全くの手ぶらだったんだ。普段から暇を持て余すということがあまり無い僕だけど、それは大方周りに興味深い物があったり、何だかんだ言いながらエリオットが相手をしてくれたりするからの話。

景色ばかり眺めているのも退屈だし、かと言ってエリオットが今更本を読み止めるとは思えない。

「あ、あの鳥はなんていう鳥かな。帰ったら調べないと……」

一度考え出したらなんだか珍しいくらいに早く飽き始めてしまって、ちょうど頭上を通り過ぎて行った鳥についてわざとらしく言及してみる。ちらっとエリオットの様子を確認してはみたけれど、この真剣さ、間違いなく僕のことは視界に入っていない感じだ。

僕と同じで、エリオットは一旦自分の世界に入るとなかなかこちらに戻って来ない。とは言っても僕の場合は従者としての責任もあるから、エリオットに変わったことがあればすぐに気付きはするけれど。

そういえば、この間誰かにこう言われたことがあった。「お前は本人よりエリオットのことに詳しいんじゃないか?」って。

あれは、確かエリオットのお義兄さんだっただろうか。少し呆れていたような感じだったけど、僕としてはエリオットが自分のことに構わなさすぎるだけのような気もするな。

「わー、なんかあの雲エリオットに似てるよ」
「……あぁ?」

そんなこんなで、あまりにエリオットの表情が真剣だから、我慢出来ずにもう一回茶々入れ。さすがに二回目ともなれば、エリオットは少し面倒そうに生返事だけをこちらへ返した。

読書の時間を邪魔されるのがどれほど腹立たしいことかは知っているつもりだけれど、いやに真剣なエリオットを見ていると、ついこうしてちょっかいを出したくなってしまう。

これ以上茶々入れしたら、たぶん後で相当怒られるんだろうなぁ。そう思って、そこからはほんの少しだけ大人しくしてみることにした。黙り込んでしまえば何の音もないこの時間は、これはこれで好きだったりする。

そのままぱらぱらと捲れるページの音を何となく聞きながら、面白そうなものはないだろうかと適当に周りを見回してみる。

最近雨続きだった空が綺麗に晴れていること、随分遠くにおそらく上級生であろう小集団が微かに見えること、それから見たことのある蝶が飛んでいったこと。散々探し回ってはみたけれど、見つかったそれらはどれも、あまり退屈しのぎにはなってくれそうにない。

困ったことに結局、ここで興味を引くことと言ったらエリオットくらいのものなのだ。

「……ねぇ、エリオット」
「何だ?」
「……え」

途端、返事が返らないだろうと予測して何となく名前を呼んだ僕に、エリオットがいい加減呆れたような口調で横目を流す。驚いてしまって見返せば、あからさまに溜め息をついているエリオットの整った横顔が目に入った。

「え、とは何だ。おまえが呼んだんだろうが」
「いや、確かにそうなんだけど。本は?読み終わったの?」
「……先からおまえが気になって進まねぇんだよ!ちょっかい出してみたり大人しくなってみたり、何がしてぇんだ」

ついでだからと尋ねてみれば、エリオットはいつものような口調で僕の言葉を一蹴する。

あ、やっぱり怒られちゃったか。青筋の立ったこの表情、社交界なんかで見せたら大変なことになるんだろうな。怒りを向けられて咄嗟に浮かんだ感想はその程度のものだったけれど、邪魔をされていると分かっていても、エリオットが僕を気に掛けてくれていた事実が何より嬉しいと思えてしまう。

そもそもこの口調、威勢だけはいいけれど、たぶん本気で怒ってはいない。本気で怒った時のエリオットはもっと、そう、とても悲しそうな目をするから。

それにしても、今時構ってほしくて邪魔するだなんて僕もエリオットじゃあるまいし。心の中で最高級に失礼な言葉を引き合いに出して、嬉しさと同時に少しだけ、子供らしい自分にも呆れた。

「僕、手ぶらで来ちゃったんだよね。エリオットが急に連れ出すから」
「オレのせいかよ?」
「エリオットが構ってくれれば邪魔はしなかったんだけど」
「……それは矛盾してるだろ」

呆れながらもひたすら余裕綽々なエリオットに、ちょっとだけ困ってくれることを期待しつつ、僕はわざとらしく次々と我侭を言ってみる。ああ、でも駄目だ、今日は。全然動じてくれないし。

「……オレの気持ちが少しは分かったか?」
「え?」
「あのな、普段はおまえの方が余程オレに暇も仕事もさせてるだろうが。一度くらいで文句言うんじゃねぇよ」
「それは……いいじゃない。従者特権ってことでさ」
「……リーオ」
「……わかったわかった。善処するからさ」

だから怒らないで?そう言って笑ってみたら、エリオットは「仕方ねぇな」と一言、いつものそれで呆れ混じりの怒りを治めた。

本当、こういうところは君には敵わないや。口には出さず、僕は無言でエリオットを称えてみる。意図するところが伝わったのか、エリオットは横顔のままで優しく笑った。