On the bubble

「……これ、どこから持ってきたの?」
「知らん。さっき姉さんから渡されてそのまま持ってきた」

リーオがそう尋ねながら物珍しげに眺めていたのは、テーブルの上に広げられた色とりどりの飴玉だった。ここへ戻ってくる間にエリオットの姉であるヴァネッサから渡されたものらしいそれは、どれも異なる種類だけれど、傍目には違いがよく分からない。

ラトヴィッジの休暇を利用してナイトレイ家に戻った二人は、エリオットの自室で学校から出された課題の真っ最中だった。元々それほど分量の多い課題ではなかったから、特に早く取り掛かる必要は無いと言えば無い。けれど、いつも出されたそれを早めに済ませるのが通例になっていた彼らは今回も、こうして休暇の始めに取り組もうと決めていたのだ。

「あーやだやだ、こういうのって本当面倒だよね。どうせ普段から大した授業もしてないんだし、いっそ潔く止めちゃえばいいのに」

日頃から問題を解くのに苦労するということが無い二人だったから、彼らにとって課題というのはある意味答えを紙に記していくだけの単純作業に過ぎなかった。机に向かい、まがりなりにも真剣なエリオットはまだしも、リーオなど先から溜め息と共にペン先を見つめ、テーブルにすら着かずにテキストを広げているくらいだ。

「ねぇ、これひとつ貰ってもいい?ただ書くのにもちょっと飽きてきたし」
「あぁ、好きにしろ。……そうだな、オレもひとつ試してみるか」
「んー、そう?それじゃあ僕は……これでいっか」

了解を得て無人のテーブルに手を伸ばし、あまりよく見ずに飴玉をひとつ掴み取ったリーオは、そこから手早く包装を解いてぽい、と一息にそれを放り込む。それほど大きくもないそれはどうやらミルク味だったようで、口にしてから数秒もかからずに、口いっぱいに甘味が広がった。

対するエリオットはきちんと選んだそれを確認してから、何とはなしに封を切る。放り込んだそれは当然のごとく包装に描かれていた通りのコーヒー味で、どうやら少し広がる苦味が、下地になっているらしい甘味を適度に抑えてくれているようだ。

「……これも悪くねぇな」

そう呟いて、エリオットは再び手元の課題に視線を戻す。やる気が起きるかと言われれば起きないというのが本音だが、どうせいつか済ませなければならないものならこの際、面倒だろうと仕方が無い。

休暇中に出されるテキストの内容など本当に大したものではなくて、その内容の薄さと言ったら、教育熱心な貴族の両親を納得させるためだけのものであると言っても過言ではないだろう。

多忙な貴族の親にとってみれば、休暇中の課題は内容よりも「出されている」という事実こそが何よりも重要だ。しかし、こと子息の負担になり過ぎれば、それはそれで文句を付けられるものだから難しい。

そんなことをぼんやり考えているうち、エリオットはふとリーオが言葉を無くしたことに気づいて振り返る。視界に映った彼は一見するといつもの様子と変わらないようにも見えるのだけれど、エリオットが見る限り、たぶん、これは少し参りかけている時の雰囲気だ。

「どうした?リーオ」
「……あまい」
「は?」
「エリオット、僕、この飴、駄目。甘すぎ」

途切れがちにぽつぽつと言葉を紡ぎ出すリーオは、まるで生気を失ったかのように恨めしげにエリオットを見やる。

最初こそ見事に広がったミルクの風味に機嫌を良くしていたけれど、時間が経てば経つほど甘味に耐えられなくなってしまったのだろう。確かに砂糖のようなそれは、一般的には少し強すぎると言っても差し支えない甘味を誇っていた。

「ったく……さっきまで何も言ってなかっただろ?」
「だって、こんなに甘いなんて聞いてなかったし」

口を開けば開くほど不機嫌になっていくリーオを横目に、エリオットは作業を中断して席を立つ。会話の合間にも度々「甘い」を交えてくるあたり、本当に限界も近いということだろう。ぐったりしながら着実に不快指数を高めているリーオの隣に腰を下ろして、エリオットは問題の包み紙を手にとってみる。

大方、何の飴玉かすらもろくに確認せずに放り込んだのだろう。そう予測を付けてから裏返したそこに書かれている文字を見て、彼は自身の予測の正確さに、漏れかけた溜め息を何とか堪えた。

「……リーオ、おまえ、これ読まなかったのかよ?」
「ああ、読まなかったさ。悪い?」

いい加減怒りの沸点に達しそうなリーオへそれ以上を追求することは諦めて、エリオットはもう一度、手に持ったままのそれをまじまじと見やる。

「極上の甘さ!」といかにもな赤字で表記されたそれは、誰の目にも注意すべき一品であることは明らかだ。もちろん、今そんなことを口にすれば目の前の従者が怒り狂う光景が広がるだけであると分かってはいるから、そこまで思慮の無い行動を選択したりはしなかったけれど。

それにしたって、このまま放っておけば飴玉が全部溶け切るより先に、リーオの怒りが沸点を超えるのは目に見えている。エリオットとしては、何の言われも無いまま怒りを受け止めることには今ひとつ釈然としないものがあった。かと言って、わざわざ言い争いたいというわけでもないのだけれど。

「リーオ」
「何?今頭に来てるところ――っ!?……ん……っ」

ふと思いついたようにエリオットに名を呼ばれてすぐ、言い切ることも出来ずに片手を取られて、リーオは深くくちづけられる。

事態を把握するより前に器用に口にしていた飴玉をはじき出されて、それから意味も無く何度か絡みついた舌が離されてみれば、口内には先ほどとは異なる新たな苦味が広がっていた。

「……なんだ、思ったより甘くねぇな」

拍子抜けしたようにそう呟くエリオットへ、リーオは驚きとともに抗議めかした視線を送る。珍しく真っ赤になっているその表情はとても抗議とは呼べそうにないものだったけれど、心持ちとして、何かせずにはいられなかったと言うところだろう。

とことんマイペースながら案外と押しに弱いリーオを見るのは、エリオットにとってある種の幸福とも呼べる瞬間だった。普段は干渉させてくれない部分がこんな行為で少しだけ取り払われるとき、リーオの中では他の何もが視界に入らなくなることを知っているからだ。

「何だよ?」
「……べつに」

面白がるようなエリオットの挑発気味な言葉には辛うじて乗らずに、リーオはふいと視線を逸らして一言だけ返した。取り替えられて残った飴玉は落ち着いた苦味だけをもたらしているけれど、いやと言うほど残ったままの甘味と掛け合わせれば、今はこれくらいがちょうど良いとも言える。

「……時間、経てばきっとひどい目に遭うよ。僕だって最初は大丈夫だったし」
「なら、もうすぐ無くなるから問題ねぇな」
「あーあ、君ってすぐそうだよね!ああ言えばこう言うんだから」
「……あのな、それはおまえのことだろ?」

最後に一言放った負け惜しみも通じずに、とうとう打つ手なくなって不満そうなリーオを意にも介せず、エリオットは彼へもう一度だけくちづけを迫る。

一瞬あと、溜め息をつきたいような、それでも幸福感で満たされた、ひどく複雑な心境でリーオはそれを受け入れた。機嫌を損ねていてさえ思わず機敏に反応してしまうあたり、もはやどうしたって自分に呆れずにはいられない。

「……ああもう、知らないよ、エリオットなんて」

照れ隠しのようにぷい、とエリオットを視界から外して、リーオはそれきり一言も発さず手元の課題へ視線を落とす。

そこからさっぱり進んでいかない様子を見れば動揺したままであるのは明らかだったけれど、あえて突き詰めることはせずに、エリオットも自身の作業をするべく持ち場へ戻った。