嘘つきの行く末

そういえば僕はこれまでの人生の中で、嘘、というものをあまり吐いたことが無いような気がする。それは別に誰かを裏切ることが嫌だとか、嘘を吐く自分を許せないだとか、そういう自己愛みたいなことではなくて、ただ単に嘘を吐く必要性を感じなかったからだ。

何においても思うままを話すことが僕が僕らしくあるための条件みたいなものだと思っていたし、とりあえず今のところ、エリオットがそれを許してくれる。だけれど先日読んだ何だったかの文献に寄れば、かの国には嘘を吐いて然るべき一日があるんだそうだ。

「……ねえ、僕、今日だけエリオットのこと嫌いになってみてもいい?」
「はあ?いきなり何を言い出すんだよ、おまえは」

ふとちょっとした悪戯を思いついて、出来るだけ朗らかな印象を目指してそんなことを言ってみれば、エリオットは意味が分からないとでも言いたげなふうに僕を見た。うん、当然の反応だよね。そう思いながら「別に?何となく」なんてかわしつつ、僕はちょっとだけ笑ってみせる。

エリオットにはたぶん誰かに嘘を吐く、なんていう考え方自体が存在していないから、僕が突然こんなことを言ってみたって、おそらく何の意味も読み取ってはくれないんだろう。いつもいつも馬鹿正直に面倒ごとに突き進んで行っては結局、割を食ってしまうのがエリオットだ。解決策を見出せないような難題にだって気がつけば手を差し伸べてしまうから、最終的に困ったエリオットをフォローするのが僕の役割。

だけれどエリオットのどうしようもなく向こう見ずなところが、僕はとても好きだった。無鉄砲で正義感あふれるその真っ直ぐさだとか、そうかと思えばやたらと素直じゃないところとか――とにかくそんなところを見るたびに、僕はエリオットのすべてに対して惹かれているんだということを思い知らされる。

「……大体な、おまえはオレの従者なんだ。オレを好きだ嫌いだと言える立場じゃないだろ」
「従者なんて本来はただの雇用契約なんだけどなー。なんて……やだなぁ、冗談だよ。そんなに怖い顔して睨まなくてもいいじゃない」

でも本当は、それがホントなんだけどね。心の中でもあべこべなことを呟きながら、段々と不機嫌さを増していくエリオットを少し愉快な心境で眺めてみる。実践してみればなるほど、本当だ嘘だと話を重ねて逃げられる、この行事はなかなか楽しかったりするのかもしれない。

「うーん……でもまぁ、従者とか従者じゃないとか抜きにして、君に言いたいことはたくさんあるよ?」

そうして少し神妙らしい雰囲気を作ってから、僕はもっともらしくエリオットにそんなことを告げてみる。この一文は本当だ。すでに僕自身にとってみれば、エリオットが主人だからとか、僕が従者だからとか、そんなことはどうだって良かったりする。たとえそんな形ばかりのものを全部失くしてしまったとしても、僕はただエリオットの傍に居たいと願うんだろう。だけれどこの形を取ることでしか傍には居られないから――だからそうしている、それだけの話。

たしかこれと同じことを以前一度口にしようとして、止めた。だって僕が言わなくてもそんなこと、エリオットはたぶん分かっているのだろうと思うから。

「……ほう?従者の身分でオレに文句を付ける気か、リーオ?」

上等じゃねえか。いかにもそう言いたげな調子でエリオットは一言僕に返したけれど、僕が見る限り、エリオットはただ怒っているというよりは、半分呆れ混じりに怒っているようだった。

こうして僕がとんちんかんなことを言い出して構ってもらおうとする時、エリオットは大抵怒りながらも呆れている。さらりと流してしまえない性格だからこそ僕がからかっているのだと知っているはずなのに、それを無視できないのが何ともエリオットらしいと思う。

「主人には従者に適切で安全な労働環境を提供する義務があるんだよ、知ってた?」

言えば、エリオットはまるでお小言を聞かされる子供みたいにじとりとした視線を寄越した。

「エリオットがあっちこっち飛び回るから、僕なんてもう何度も命の危機に遭ってるじゃない」

続けてそう投げかけてみれば、エリオットは物言わないままどこか諦めたような表情を浮かべる。ただ、これは半分僕の本心でもある。開き直るわけではないけれど、そもそも僕は従者としてはてんで役に立たない性質なのだ。銃も駄目だし、剣も駄目。およそ人間が持つことの出来る武器らしい武器の中で、僕がまともに扱える物は何一つ無い。

「……僕がそういう場面で危ない目に遭わないようにするのも君の仕事でしょ?」

それに、僕が居ることでエリオットが危険な目に遭うこともあるしね。そのことはあえて口にしないまま、僕はわざと拗ねたような調子でエリオットの反応をうかがってみる。それらしい理屈を並べ立てているこれが、いわばただの馴れ合いだと分かっているんだろう。少し落ち着いて来たのか、はあ、と深く溜め息を吐いて、エリオットは頬杖をついてこちらを見やった。

「何だよ、今日はやけに突っかかるじゃねーか」
「だから言ったでしょ?今日だけエリオットのこと嫌いになる、って」

ちょっと冷たげなふうにそう言えば、エリオットは困ったようにもう一度だけ息をついた。

こうして何事にも真剣に向き合って、結局僕のためにエリオットが困ってしまうのが嬉しいから、ついついこうして言葉遊びみたいなことばかりを投げかけてしまう。何とも子供じみた独占欲だと思いはするのだけれど、今更この形を振り払えない。

「エリオットなんて本当、子供だし、無鉄砲だし、周りの迷惑考えないし。怒りっぽいし」
「子供で怒りっぽいのはおまえもだろ……」

言ったっきり、エリオットは僕の言葉の続きを待って黙り込んだ。どうやら僕の話を聞く方に専念することにしたようだ。反論してくる様子が一切無いらしいことに気がついて、何とも言えない心境になる。普段あれほどまでに強情で怒りっぽいエリオットなのに、僕がいつもと違う態度を取り出すと、計ったように大人しく僕の話を聞こうとするから。

「すぐに読書の邪魔するし、ピアノには口うるさいし。……ほんと、そういうところ」

――大嫌いだよ、と。言おうとして言えないことに気づいて、何だか妙に自分に驚く。ああもう、最後には冗談にしてしまうんだから、このくらいの嘘、言えたっていいのに。

「リーオ?」
「……なんてね。エリオット、今日が何の日か知ってる?」

想像以上にエリオットが真剣な調子になってしまったから、つい冗談以上の会話に発展しそうになるのを抑えて、誤魔化すようにネタばらしの準備をする。ああ、バレたらまた怒り出すのかな。思うと何だかおかしくなって、それもいいかと僕は笑う。

「今日はかの国で年に一度、嘘を吐いても許される日なんだって」

この国の貴族の間でも流行っているって聞いたけど、知らなかった?真相を伝えつつそんなことを問いかけてみれば、エリオットは予想に反して呆れ直すでもなく、怒るでもなく、ぼんやり何かを考えるかのように宙の一点を見つめていた。

「……どうかした?」それからつかの間。生まれた空白に耐え切れなくなって、確認するようにふと尋ねてみる。
「……ああ、いや」そのままさらにほんの一瞬の間を空けて、エリオットが何かに気がついたかのように声を上げた。反射的に視線を合わせれば、何故だかいやに真剣な表情でエリオットはこちらを見据える。

「今日だけ嫌い、なぁ……」

そう呟いたエリオットの言葉を聞いて、僕はようやくエリオットの言わんとするところを理解した。何とも言いがたい表情をしているエリオットが今何を考えているのか分からなくって、ほんの少し、気に入らない。

「何、今日だけじゃなくてずっと嫌いだったら良かった?」

半ば自棄になってそう言ってから、僕は自分がこの話題を持ち出したことをこの日一番後悔した。「今日だけ嫌い」なのが僕の嘘なら、それはつまり「いつもは好き」と言っているようなものだ。

やっぱり嘘を吐いて良いことなんてひとつもないや。そんなことを思っていると、とうとうエリオットは堪えきれないというふうに笑い出す。

「いいや。リーオ、やっぱりおまえは嘘には向いてねぇな」
「……どうせ僕は思ったことしか言えない正直者だからね」

強がってそう言えば、エリオットは余裕の表情で「ああ、そうだな」なんて言ってくる。大体、嘘を言う前にばらしてしまったんだから、嘘なんて結局何一つ吐けてないし。

「……そういうエリオットだって、嘘には向いていないように見えるけど?」
「そうか?案外そうでもないと思うがな」
「随分自信ありげじゃない。別に誇るようなことでもないと思うけどね!」

思えば思うほど何だか腹が立ってきて、ちょっと強めに僕はそう一言放り出す。完全に自滅と言って差し支えない僕を余裕たっぷりに見据えたまま、何気ない調子でエリオットが口を開いた。

「オレはおまえのそういうところが嫌いだ、リーオ」
「……何それ。嘘でもついてみたつもり?」
「さあな。本当だったらどうする?」
「……別に。いいんじゃない、それはそれで」

投げやりにそれだけを言って、僕は掛けていた椅子から勢い十分に立ち上がる。エリオットが面白そうに笑っているのを徹底的に無視しながら、行く先に迷ったのち、意味も無いまま隣の書斎へ逃げ込んだ。