Correlate

「変なことを聞くよね、エリオットは」

そんなこと、どうだっていいじゃない。話を振られたヴィンセントはそう言って、大きなあくびの後に彼を見やった。

自分は自分、他人は他人。そんな単純なことさえ曖昧に受け止める彼は、不器用なのだか器用なのだかよく分からない。ヴィンセントは思う。少なくとも、僕にとっての貴族世界は僕自身が都合よく立ち回るためのフィールドでしかない。使えるものは徹底的に使う、それだけだ。だから僕にとっての従者なんていうのは、要するに、ただの――。

「……駒、かな?」

ちょうど良い言葉を思いついたとでも言うようにヴィンセントは口にして、そこにひとつ確信めいた笑みを浮かべる。そう、彼にとっての「従者」というのは要するに、自らの願いを遂げるために自在に操ることの出来る「手駒」なのだ。だから「それ」には従順であること以外に何一つ求めはしないし、ただただ人形であってくれればそれで一向に構わない。下手に逆らわれなどすれば鬱陶しいだけだし、それらは今後いくらでも替えが利く「消耗品」でしかない。

たとえば今彼が従えているエコーは戦闘力に長けているから、死なれれば同等の能力を持った人間を調達するのが少々面倒ではあるけれど、個人的にはそれ以外、取り立てて特別な感情は無い。身内ではないし、単純に他人というわけでもないが、たとえ自分のために死んだからと言って罪悪感を覚えることは決して無いだろう。

「……お前はあれだけ自分を慕う人間に対してただの駒だと言い切るんだな」
「うん。だって、エコーにとってはそれが仕事でしょ?」

だったらいいじゃない、それで。微笑してそう突きつけるヴィンセントに、納得が行かないとでもいったふうな面持ちでエリオットが腕を組む。

エコーにとってヴィンセントがどんな存在であるのかはエリオットには分からなかったけれど、二人の間柄が完全に主従のそれであることだけは、彼もまた良く知っていた。昔から新種の毒物を試させたとかいう話もあったし、恒常的に虐待しているという話もあるし――ともかく、彼らに関しての良い噂はこの屋敷においても何一つ聞かない。

話の出所がメイド達の噂であることも多かったから、これらのすべてが真実であるとは限らない。リーオがふらふらと出歩いてはそういった話を持ち込んでくることもあったし、エリオット自身が耳にしたことも多くあったけれど、真相は結局のところ闇の中でもある。

――ただ。ただ、それでも、とエリオットは思う。自分にとっての主従関係は、少なくともああいった冷え切って機械的なものではない。同じ「従者」という呼称を使うことがはばかられるほど、ヴィンセントとエリオットの間には価値観に明確な相違があるらしい。

「……どうかした?何か言いたげだけど」
「いや……お前は、その……なんだ。何とも思わないのか?毒を代わりに飲ませたり、気に入らなければ罰を与えたり……」

口にするのも億劫なふうにエリオットが問いかけてみれば、ヴィンセントの笑みがさらに歪んだそれへと変わる。へぇ、とわざとらしく声を上げて、彼は射抜くような赤の瞳をエリオットへと向けた。

「……そういうのってどこから漏れるんだろうね。興味あるなぁ」
「あのなぁ、否定しねぇのかよ」
「だって仕方ないじゃない、事実なんだから」

ヴィンセントにとってみれば、そういったリスクをすべて承知した上、背負う覚悟が出来ている者こそ従者にふさわしい人間なのだ。エコーは自分に仕える以外の世界を何一つ知らないことが少し不憫に思えないこともないが、世界が真っ当に回っていくためにはそれもまた仕方がない。

なにしろ異物を排除しようとする疎ましい世界に比べれば、拾われ、留まれる家があるだけまだ随分幸せではないか。誰かに使役させられようと、とりあえず当面生きていくのに困らないのなら、そんな生き方も下賎とは言えあながち間違ってはいない。

「エコーにはこの家しか生きていく場所がないんだもの。まあ、子供の頃からこの家に仕え続けてるんだから仕方ないことだけどね」
「あえてそういう人間を従者にすることに意味はあるのか?」
「意味?んー……そうだなあ、逆らえないじゃない、僕に」
「逆らえ……?」
「だってさあ、鬱陶しいじゃない。僕が立ち回りやすく生きていくためにあれがいるんだから、変に楯突かれても困るし。適度に便利なんだよね、彼女」

最大の弱みを握っている限り、エコーが必要以上に反抗してくるようなことは万に一つも無いだろう。もし少しでも失態を犯したなら、すぐにもう一人に身体を明け渡させれば良い。いくら五月蠅い雑音だって、反響音の懲罰くらいになら役に立つ。本当なら大人しいエコーの方が傍に置いておくには気楽で良いが、そうも言っていられない場合は致し方ない。

「オレは……従者はそういうものじゃないと思うがな」
「……ふうん?」

思考するヴィンセントにエリオットの声が割り込んで、可笑しそうにヴィンセントは一言返す。この義弟が自分の従者に対してどれほどの好感情を抱いているのかは、他人に興味のないヴィンセントでも理解しているつもりだった。

何せエリオットは彼を従者にするところから随分苦労していたのだ。ヴィンセント個人は家名になど何の価値も見出せなかったから、末弟の従者が平民だろうが何だろうがさして関心も無かったけれど、義兄や義妹はどうやら物言えぬ勢いで反対していたと聞く。

ただ、おそらくこの家の人間が彼の家入りを反対した理由は、単に彼が平民だからというだけではないのだろう。ヴィンセントは思う。それ以上に、彼――リーオがサブリエの人間だからだ。アヴィスと繋がりの強いあの土地の人間を家に入れるのは、確かに些か抵抗があるものなのかもしれない。

「キミの言うこと聞かなさそうだよね、彼。……ま、僕からすれば物好きなのは彼のほうだと思うけど」
「ああ?どういう意味だよ」
「そのままの意味かな。僕なら嫌だけどね、キミみたいな暴走人間の従者なんて……」

そもそもこんな熱血漢と四六時中行動を共にしなければならないことを考えること自体、とても正気ではいられない。正義を振りかざしていの一番に面倒事に首を突っ込んで行くような人間、出来れば相手にしたくはないのだ。

こういう人間は大抵、緻密に紡ぎ上げた計画を一瞬のうちに無に還してしまう。予測不可能な行動を取るような存在は出来れば傍に置いておきたくはないし、だからこそ、エコーのような従順な人形が従者にはふさわしいのだと言うのに。

「……とやかくは、言わないんだな」
「ん?……ああ、言わないよ、別に。だって僕、キミがどんな従者連れてようが興味ないし」

キミと違って家の誇りとかどうでもいいんだよね。ヴィンセントが言えば、反論しようとしかけるエリオットの姿が彼の視界に映り込む。思い直したのかそれが言葉にされることは無かったけれど、見るままに不満らしいことだけは辛うじて理解出来た。

「僕は僕、キミはキミじゃない。キミがリーオのことをどう思ってるかは知らないけど、僕にとって従者は僕に都合がいい人間の方がいいんだよね」

ふああ、ともう一度大あくびをして、ヴィンセントは手元のティーカップに手を触れる。件のエコーが用意していったそれは、彼が飲み始める時間さえ計算され尽くして、今現在がまさに口にするには最適な温度だ。

「……たとえば僕がこのティーカップに入った紅茶をもうしばらく無視して、冷めさせる。そうしてあとで彼女に文句を言えば、彼女は僕に謝罪して許しを乞うしかない。……いい気分だよ?誰かを服従させるのって」

言って、ヴィンセントは嘲笑にも似た笑みを浮かべる。意のままにならない人間など必要ないのだ。対等な関係である必要性も、誰かに何かを請う劣等感も、上にさえ立てば何一つ必要は無い。その上で、自分にとって大切なものを取り戻していけばいい。その為になら、他の何を犠牲にしようと今更知ったことではない。

「……オレはどうコメントすりゃいいんだよ」

呆れたような、困ったような調子でエリオットがそう言えば、ヴィンセントは人の良さそうな微笑だけを返した。この一見人当たりの良さそうな笑みは、社交界では大変に有効だ。日頃女性陣から恐ろしいほどの人気を集めている、その好青年の本性がこれだなどと、まるで詐欺どころの騒ぎではない。口にはせず思うだけ思って、エリオットはヴィンセントの言葉を待った。

「さあ……僕がキミを理解する必要もないけど、キミが僕を理解する必要もないんじゃない?」

大体、今この瞬間にも隠していることなんてごまんとある。いずれこの義弟を駒のひとつとして利用せざるを得ないかもしれないことも、火急の事態になれば、それこそ殺すことすら厭わないだろうことだって。

「僕はギルが喜んでくれるならそれだけでいいからね……。エリオットもそうなんじゃない?……優先順位が違うだけだと思うよ、所詮僕とキミなんて」

くすり、と笑いながらヴィンセントが伝えれば、エリオットは答えあぐねたように出しかけた言葉を飲み込んだ。優先順位。そう言われれば、そう言えないこともないのかもしれない。エリオット自身の最優先事項が単純に従者という位置に在るだけ、なのだとしたら。

「でも……ほらね、無いとは言えないでしょ?」

大切なもののために、すべてを虐げる可能性。対象が違うだけだ。ヴィンセントにとって従者は弱きものであり、確かに他より加虐しやすい存在だけれど、もしもその位置に居るのがギルバートだったなら、どんなことがあっても守り抜こうと思うだろう。

「それでも、オレは守るために傷付けるような真似はしたくないがな」
「ふうん……まあ、キミにもそのうち分かる日が来るかもね。……いや、それとも分からないかな……?」

正義を振りかざしているつもりで、両方を救っているつもりで――どうしようもなく誰かを壊しているような、そんな不安定な性格してるから。

「……何を笑ってる?」
「いいや?ただ……キミのその優しい心が、そのうち仇にならなければいいなと思って」