Dear blue-1-

ナイトレイ家の屋敷を出て、二人はパンドラ本部への往路を歩いていた。エリオットの父――ナイトレイ公爵より預かった親書を届けるよう命じられたエリオットとリーオは、晴天だからとあえて馬車での移動を選ばなかったのだ。

「本当に良かったの?馬車の方がすぐに済んだと思うけど」
「……近場へ行く時まで黙って他人に命を預けて待つのはいまいち気にいらねぇ。だから歩く」
「いつもそうだよね、エリオットは。……まぁいいんだけど」

そう言って、リーオはエリオットの少し後ろを歩く。形式上問いかけてはみたけれど、彼も徒歩で往路を行くことにはそれほど抵抗を覚えていなかった。花の咲き誇る今の季節は歩いていても花びらが頬をかすめる絶景だから、こうして歩くことも大して苦痛とは言えない。

それでも、四方八方に広がる色とりどりの景色はあの頃と違いすぎて、リーオは未だに自分自身に場違いな感覚を感じることがあった。けれど、いつも傍にはエリオットがいるから。だから、何だって愛おしい景色に思えることも、また確かではあるのだ。

「別に何てこと無いと思うよ?どんな人だって、ナイトレイ家の人間には変わりないんだし」
「そうは言うが、あの狭い空間で会話が筒抜けなのはどうも好きになれねぇんだよ。仕方ないだろ」
「うーん、エリオットって案外一匹狼だよね」
「……おまえ、自分を棚に上げてよくそんなことが言えるな」
「僕は猪突猛進型じゃないからね。嫌なことでも我慢するときはするよ」

家族のことを大切に思う反面、エリオットはなかなかもって、他者に心を開きにくいところがあった。もちろん公爵家の人間として無礼な振る舞いをしたりはしないが、ナイトレイ家に仕える人間にさえ、彼が根っからの素を見せることは少ない。

そもそもリーオを従者に選んだのだって、信頼のおけない他者を彼が受け入れることをひたすらに拒んだからだ。通常は四大公爵家よりも下級の貴族、もしくは自分の家に仕えている人間から従者を選定するのがならわしだったけれど、周囲の反対があると分かっていても、彼は確固としてそれを受け入れようとはしなかった。

「ねぇ、エリオット」
「何だ?」
「……んー、やっぱいいや。気にしなくていいよ」

一度エリオットを呼び止めたリーオは、またすぐに自分の言葉を打ち消した。ねぇ、僕を選んだのって何で? ふと思い立ってそう聞いてみようとしたけれど、止める。今そんなことを聞いたってどうせ軽々しい答えが返ってくるだけなのだと言うことを、彼はちゃんと知っているから。

「なんだよ、気になるじゃねぇか」
「全然大したことじゃないから。……ホントにいいよ、忘れちゃって」
「……本当に良いのか?」
「……往生際が悪いね、君も。そんなんだからいつも教授に目付けられるんじゃないの?」

ぴしゃりと言い放って、リーオはエリオットを黙らせる。本当はあまり好きなやり方ではないけれど、今、これ以上を突き詰められたくはなかったから。

「相変わらずの減らず口だな、おまえは」呆れたようにエリオットは言う。
「一応聞くけど、それって褒め言葉だよね?」笑って、リーオは返した。
「……喧嘩売ってんのか、ったく」

にこりと笑ったリーオに、上手くかわされた、と内心毒づいて、エリオットは話題を蒸し返すことも出来ずに苛立ちを収める。

これだけ長い付き合いになると、なんとなく相手が何を考えているかが読めてくるものだ。本当にただの軽口を叩いている場合もあるけれど、時々、リーオは軽薄な言葉の裏に真意を隠してしまうことがあった。

エリオットはそんな機微によく気がつくほうであったから、そのたびに何とかして本音をはじき出させようとはするのだけれど、困ったことに彼の従者は自分が納得しなければとことん、自分のことを話そうとはしないのだ。もしくはずっと追い詰められてから、ようやく。

「……にしても、久しぶりに晴れてるね。昨日まではすごい雨だったのに」
「ああ。逆に気味が悪いくらいだな」
「予報では、今日一日は降らないって言ってたけど」
「どうだか。昨日もそれで散々な目に遭った」
「あはは。確かにね」

そう語るエリオットは、未だに根に持っているかのような表情でそっと溜め息を落とす。彼の言うように、昨日も雨上がりには一度青々とした晴れ間が広がったのだ。けれど、その隙にと出先から屋敷への帰還を試みた彼らは見事に途中で雨に降られてしまったのだった。

「ほんっと運が無いよねー、エリオットって」
「うるせぇな、元凶はおまえかも知れねぇだろうが」
「えー、違うよ。僕がサブリエに居たときは別になんにも無かったし、それに――」
「……あの、すみません」
「ん?」

二人が意味も無いやり取りを繰り返しているうち、彼らの後方から控えめに澄んだ声が飛んでくる。気がついて振り返ってみれば、そこに立っていたのはとても美しい金の髪を持った女性だった。

「……貴女は?」

向き直ってそう一言尋ねたリーオに、女性はとても優しげにふわりと笑った。やわらかな雰囲気を纏う彼女は見たところ二十代半ばと言った様相で、すらりとした長身と、その金髪に翠色の瞳がよく似合う。何も語らずに二人へゆっくりと近付いた彼女は、そこでようやく口を開いた。

「……女の子を、知りませんか?あなた達より少し幼いくらいの子なのですけれど……」
「……女の子?」

寂しげに視線を流して、女性は憂いを秘めた表情を崩さない。訝しげに彼女を見やる二人に対し、彼女はまるで選ぶかのように言葉を紡ぐ。

「……娘の、行方が分からないのです。ですからこうして、ずっと……」

続けて、女性は自身の境遇を静かに語り始めた。随分前に娘が行方を眩ましてしまって、もう随分長いことひとりで捜し歩いていること。年の頃はエリオットやリーオより少し幼いくらいで、行方が分からくなった頃にはまだ背はそれほど高くはなかったこと。けれど、今はどんな姿をしているかも分からないということ。

夫は数年前に他界してしまって居らず、今は娘とたった二人きりの家族なのだということ。

重々しいそれらの言葉に悲愴さを感じさせないほど、女性には凛とした強さがあった。すらりと背筋の伸びた力強い出で立ちは、どこか影を感じさせながら、それでもまだ絶望ひとつしていないように見える。

「同じ年の頃のようでしたので、お声を掛けさせていただきました。……ご存知、ありませんか?」
「……すまないが、覚えが無いな。学校には通っていたのか?」
「いいえ、あの子は幼い頃から身体が弱くて、ずっと家庭教師を付けていたものですから。十を過ぎた頃から身体は丈夫になって来ていたのですけれど、そこからではとても学校には馴染めないだろうと主人も……。ですから、あの子は一度も学校には通わせていないのです」
「んー、そっか。それじゃあ話題にもならないわけだよね」

通常、学校に通っている年頃の娘が突然行方を眩ましたとなれば、然るべき範囲で話題になるものではある。けれど、彼女の言うような箱入り娘ならば話は別だ。

元々この国では学校教育を受けることは義務ではなかったし、ほとんど全ての貴族が寄宿学校へ通うのだって、いつの間にか決められていた慣習のようなものだった。だから彼女の取った対応だって、殊更追及するほどおかしなものでもない。たしかに、これでは手がかりは無いに等しいだろう。その少女のことをどれほどの人間が知っていたかすら定かではない世界の中で、姿をくらませば二度と出会えない覚悟すら必要になる。

「この街で最後にしようと、そう思ってここまで来たのです。……もう時間が、無いから」

ぽつりと、女性は呟く。聞き逃さなかったのはリーオの方だった。

「時間?」

違和感。何かの違和感がする。けれど、なぜ。時間が無いのは当然だ。彼女は娘を探しているのだから。

「あ……いえ、何でもありません。ええと……そうでした、これをご覧になっていただけませんか。あの子、こんな風をしているのです」

リーオの言葉をあしらって、ふと思い出したように手元の鞄から女性は写真を一枚取り出す。一瞬それを愛おしげに眺めた後で、彼女はそれをエリオットにそっと手渡した。母と娘が微笑んで写っているその写真は、誰もが羨みそうなほどの幸福に満ちていた。

女性が愛おしそうに指差してみせたその娘は、母親に良く似た金髪と、物言わせぬように凛とした面差しをしていた。けれど、ただその瞳だけは、他者を真っ直ぐに引き込むような、ひどく澄み切った蒼色をしている。

「……綺麗な目をしているんだな」
「瞳は、亡くなってしまった主人に似ているんです。あの人も、とても綺麗な蒼色をしていたから……」

切なげにそう語る女性は、それでも痛み混じりに優しく笑う。思うところがあるのか、傍らのリーオは彼女につられるように視線を逸らした。気づかれないようにと精一杯に自制したそれは、どこか物悲しさを感じさせるようで、ひどく儚く映り込む。

「……あの子、主人の最期に立ち会うことが出来なかったのです。まだ少し身体が弱いところのあったあの子はあの日、高熱で起き上がれないほど寝込んでしまって……。初めて一緒にお見舞いに行けなかったその日を最後に、主人は命を落としてしまいました」
「……失礼ですが、ご病気か何かでしょうか?」
「ええ。主人は不治の病でしたから、先が長くないことはお医者様の診断で知らされておりました。……ですからあの子にも、出来る限り父親の顔を見せてあげたかったのですが……」

あの日、無理やりにでも連れて行ってあげれば良かったと後悔しています。だからこそ、私はあの子だけは失いたくない。

一通りを話し終わったところで、女性は急にはっとしたような様子で二人を見やる。そもそもが唐突に呼び止めた身分だと言うのに、いつまでも引き止めておいては失礼にあたると考えたのだろう。

「あ、あの、すみません、私……関係の無い方々にこんな話ばかりしてしまって……」
「いや、構わない。……無事にご令嬢が見つかることを願っている」
「……先ほどあなた方をお見かけしたとき、何故だかどうしても声をお掛けしなくてはいけないような気がしたのです。どうしてなのかは分からないけれど……。お急ぎでしょう?私の勝手で貴重なお時間を煩わせてしまってごめんなさいね。どうぞ、構わずにご出発なさってください」

足早にそうと告げて、女性は戸惑ったようにふわりと笑った。丁重にお辞儀をしたあとで、彼女はエリオットとリーオを静かに見送る。

「大丈夫、私はまだ大丈夫」と、そう誰にも悟られないよう、ひどく悲しげに呟きながら。

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