Dear blue-2-

「……なんだか不思議な人だったね」
「ああ。どこか焦っているような感じがした」
「うん。それは僕も思った」

娘を探している、と言った女性は、リーオの見た目にもとても急いているように見えた。愛娘が行方を眩ました。それだけで焦る理由など本来は事足りるのだけれど、あの女性はその点においてはことさらに冷静だったから、余計に不思議な感覚に陥る。

どうせ答えなど出せないと分かってはいても、先ほどのやり取りが頭から離れない。良家の貴族と見受けられる彼女は、儚げながらも凛とした強さを持っていた。その頑なな強さの裏に感じた、底知れない違和感が拭えないでいる。

「どこの家の人なのかな。貴族?」

リーオは尋ねる。少し考え込んで、エリオットは答えた。

「さあな。オレの知る限りではナイトレイに近しい人間ではないが……」

順を追って、先ほどの会話を思い返してみる。そもそものところ、彼女は随分遠くから足を運んできたような口ぶりだった。レベイユの人間に尋ねると言うからには彼女もこの国の人間なのだろうが、この国は広い。聞いたこともないような土地の人間である可能性はある。どちらにせよ、それなりの階級に所属していそうな振る舞いではあったから、他家のどこかにまつわる貴族なのかもしれない。

「でもさ、普通貴族の家の女の子が行方不明になったら気付かないものかな?付き合い重視の社会なんだし、あの人も急に家を出たら怪しまれるんじゃない?」

そう言いつつひとつだけ、リーオには思い当たるところがあった。彼女は先ほど主人が先に病死した、とそう言った。とすれば、彼女はおそらく他所から嫁いで来た人間なのだろう。家の主人が先立って命を落とし、一家が瓦解することで、貴族社会に組み込まれなくなってしまう家庭は多い。

あまり力を持たない貴族の一家、それも子供が息女のみで跡継ぎが存在しないとなれば、貴族社会から弾き出されてしまった可能性は無きにしも非ずだ。レインズワース家の女公爵のように、女性ながらも幼少の頃から跡継ぎの教育を施され、実際に権力ある公爵家の頂点に立つ人間は稀だったから。

「まあ、オレ達が知らないような貴族はごまんと居るからな。元々貴族の家系だった奴、養子に出されて貴族になった奴、それから平民から成り上がった奴」
「あー、僕みたいな、ね」

そう茶々入れするリーオに溜め息をついて、エリオットは続ける。

「……おまえは事情が違うだろ」
「そう?僕なんて周りから見たらまさにそうだと思うんだけど。なんでもない平民がお貴族様に取り入って地位を得た、って。……ま、周りはみんな好き勝手言うしね」

だからこそ、いわれの無い嫉妬だってこれでもかと言うほど向けられてきた。構いはしないけど。別に、他人の目なんて知ったことでは無いから。

「やましいことをしているわけでもねぇだろ。放っておけばいい、そういうのは」
「まぁ、そうなんだけど。でもエリオットが急に従者になれなんて言うからびっくりしたよ、あの時は」

びっくりした、と口にする割にはのんびり語るリーオに、エリオットは言葉を返さない。あの日、勢いめいて発した一言は、エリオットにとってとても勇気を要するものだった。まさかすぐさま断られるとは思っていなかったけれど、結果的にはあの場で決断してしまって良かったのだと、思う。

あの決断で、リーオの――人間ひとりの生き方を大きく変えてしまったのは事実だ。けれど、彼ら自身はそれを少しも後悔してはいなかった。リーオは別にあの場所が嫌いではなかったけれど、かと言って好きでもなかった。単に生活の場所、という認識だったから、意識して好きとか嫌いとか、そういう次元には無かったのかもしれない。

「それにしても、初めて会った日のエリオットはカッコ悪かったよねー。読書中の僕をつかまえて「オレの名前はエリオット=ナイトレイだ!」とか言っちゃって」

「だから何?って感じだったよ、本当」言いながら、リーオはおかしそうにくつくつと笑う。とは言っても、あの日のリーオが名家の嫡子相手に相当な振る舞いをしたことだって事実だ。

エリオットは未だに考えることがあった。あの時出会ったのがたまたまエリオットだったから、リーオは今、何の実害も無くこうしていられる。エリオット自身の中でまかり通っているそれが本当に真実なのか、否かについて。

たしかにリーオの出自は平民かもしれないが、彼の従者になってからの貴族社会への順応性には目を見張るものがあった。立ち回り方が上手いのだ。一瞬で人を選ぶ、と言うのだろうか。エリオットに対しての振る舞いなどぞんざい以外の何物でもないが、然るべきときには恐ろしく正しい対応をする。

だからこそ、だ。もしかすると彼はあの時、無意識にエリオットが無害な人間であると決め込んだのかもしれない。それほどに、リーオは最低限、自分自身が平穏に生きていく術を身につけているように感じられる。――悪く言えば当たり障りが無いとも言えるけれど。

「どうしたの、エリオット?」
「……別に何でもねぇよ」

自分で従者になれと口説き落としておきながら、未だにとても疑問だった。けれど今更聞けはしない。「どうしてオレの話を受け入れたんだ?」なんて、そんな、あからさまに格好の付かないこと。

「……それはそうと、この写真、どうすりゃいいんだ」

ふと、手にしたままの写真のことを思い出す。母娘二人、明るく満ちた笑顔が痛い。

「うーん、一応持ってれば?もしかしたら役に立つこともあるかもしれないし――それに、捨てられないでしょ。写真って」

何となくさ。そう呟いて、リーオはゆったりと笑った。言ってしまえば紙切れに過ぎない代物ではあるけれど、何故だか写真というものには不思議な力があるような気がしていた。

物にはそれほど執着しないリーオも、以前エリオットと二人で撮った写真だけは部屋にきちんと飾ってあった。それからもう一枚。いつだったかフィアナの家の子供たちと撮った、あの写真も部屋隅に、ある。

あの写真さえ置いておけば。――そうすれば、記憶ごと見知った人間が消えるなんてこと、きっとないと思うから。






親書を届けるべくパンドラ本部を訪れたエリオットとリーオは、到着するなり、迷うことなくレイムが常駐している執務室に向かった。

「ああ、エリオット様。お待ちしておりました」

開いた扉の向こうで彼らを出迎えたレイムは、客人をもてなす余裕も無いほど執務に追われているようだった。本の山を抱えて笑う彼はいつもよりも更に疲れているように見えたから、エリオットもその出迎え方にあえて文句を付けることはしなかったけれど。

「うわー、すごい荷物。やっぱり事務員は大変だねー」

気の毒そうにそう呟いたリーオへ、レイムは「ええ……」とだけ虚ろげに返した。常人の何倍もの仕事を請け負うその姿は相変わらず憐憫を覚えさせるのに十分なほどで、思わずエリオットは彼の抱える本の山の、上から数冊を取り上げて抱える。

「貸せ。少し持ってやる」
「……済みません、お客様に持たせてしまって」
「別にいいよね?エリオットは今休暇中で暇人なんだから」
「あのなぁ……」

その横からさらにレイムの本を半分ほど受け取って、本の山をきっかり三等分にしながらリーオはからかい半分にそう笑った。もう少しつつけばすぐにでも怒り出しそうなエリオットを満足げにちらりと見つめて、リーオは次の言葉を待ちながら、目の前の本棚に先ほど受け取ったそれを的確に戻していく。

「こいつの仕事が終わらねぇとオレ達の用事が済まないだろうが。だから手伝ってやってるだけだ」
「えー、素直じゃないなぁ」
「うるさい」
「あ、エリオットが拗ねた」
「拗ねてねぇ!」

まさに想像通りの展開を横目に、レイムは何とも形容しがたい表情で自身の仕事に没頭する。仲良さげな光景は微笑ましいと言えば微笑ましいのだが、以前彼らの脇目も振らぬ大喧嘩を目にしてからは、レイムも彼らの小競り合いをただ安穏として眺めている気分にはなれずにいた。

エリオットの怒りはレイムも日頃からよく目にしていたけれど、リーオがあれほどの怒りを前面に押し出すことが出来るのだということについては、どうやら当時の彼は知らなかったようだ。

たぶんあの時は図らずも立ち聞きのような状態になってしまって、彼らも自分達の他に人が居ることに気付かなかったからこそ、言い争いもあれほどの規模に発展したのだろう。けれど普段から感情を荒げることの少ないレイムにとって、あれは確かに恐れ多い事態だった。

「ええと……お二人は、今日は何でいらしたんですか?」
「大体おまえはいつもすぐそうやって――あ?ああ……徒歩だ。晴れていたんでな」

いよいよ雲行きの怪しくなってきた二人へ、レイムはおずおずと声を掛ける。周りが見えなくなる前にどうにかしなければ、被害を被るのは明らかに自分だ。

「え……徒歩で?それは大変だったでしょう。馬車はお使いにならなかったんですか?」

自分の中で予想していたものとは違う返答に、少し驚いたふうにレイムは返す。

「馬車はエリオットが嫌がったから。エリーは人見知りだもんねー」
「その呼び方で呼ぶな!」

人前で、と言いかけて、辛うじて止める。危うくとんでもない発言をしでかすところだった。そんなことを言ったりしたら、それこそ自爆しているようなものではないか。「人前でそんな呼び方をするな」だなんて、それこそ、普段からそう呼ばせているのを認めているようなものなのだから。

それを十分に分かっているのだろう。エリオットが声を荒げてみても、リーオは動じたふうもなくただにこにこと笑っている。エリオットにも建前というものがある以上、この場でとやかく言われることは無いと彼は知っているのだ。

この場での追求を諦めたのか、一度気を取り直して、エリオットはレイムの方へ視線をやった。それから少しだけ真剣な面持ちで尋ねたそれは、先から気になり続けていることだった。

「……しかし、いくらなんでも人手が少なすぎるだろう。何だってこんなことになってる?ここに来る間もパンドラの連中、やけに慌ただしかったが……」

エリオットの言葉の通り、この執務室へ至るまで、二人はほとんど人間と出会わなかった。見かけたのは入り口の警備員と慌ただしく走り去っていくパンドラの人間がひとり。それから、レイムを含めたこの執務室の数人くらいだ。

「それがつい先ほど、ここから少し離れた地点でどこかの違法契約者が暴走を始めたようなのです。それで動ける人間は全てあちらへ向かい、事務に残った我々はこうして作業を続けているのですが――」
「――終わらない、ってわけだね」
「ええ、ご覧の通りです……」

目にも留まらぬ速さで手元の本をあるべき場所へと戻しながら、レイムはがっくりとした面持ちで溜め息を落とす。平穏時のパンドラでは戦闘要員も事務を兼任しているから、彼らが全て抜けてしまえば、事務員の作業量は何倍にだって膨れ上がるのだ。

「……違法契約者って奴はこんな真っ昼間から堂々と暴れ回るものなのか?オレが今まで聞いた限りでは、夜がほとんどだったと思うが」
「そうですね。夜に活発になるチェインが多いので、相対的に見て事件が起こりやすい時間帯は深夜である、と言うのは確かにあります。ですが、たまにこのような時間に刻印が暴走することもあるようですよ」

そのようなケースは通常よりも暴徒化することが多いようだとレイムは語る。願いが強ければ強いほど、そして契約者本人の心が強ければ強いほど、チェインは力を増していく。それ故、爆発したときの力が凄まじいのだと。

「なるほどな。よっぽどの力の持ち主ってことか」
「……あ、そういえばエリオット。あれ、一応聞いてみたほうがいいんじゃない?」
「あれ?……ああ、写真のことか」
「うん。もしかしたら何か知ってるかもしれないし」
「……写真、ですか?」

会話の途切れたところで、リーオはふと思い出したようにエリオットに告げる。何故だか妙に引っかかりを覚えるあの女性。何がというわけではないのだけれど、先からどうにも彼女のことが気に掛かって仕方がなかった。

たぶん、エリオットもそれは同じだったのだろう。取り出した写真をもう一度だけ神妙に見つめてから、レイムに「これだが」と言って差し出した。

「女性……貴族の方でしょうか?随分と育ちの良さそうな親子ですが……この方が、どうかなさいましたか?」
「ここへ来る途中に会ったんだ。娘を探して歩いていると言っていた。……心当たりは無いか?」

深刻そうな表情で尋ねるエリオットの労も虚しく、しばらく考え込んでから、レイムは申し訳なさそうに言った。

「いえ……すみません、私にはお役に立てそうにありません」
「うーん、やっぱり駄目かぁ。どこの人なんだろうなぁ、この人」

そう言って、リーオは写真を覗き込む。一瞬、変わらず微笑む母親が、ひどく悲しげな表情に変わった気が、した。気がした、だけ。だって、一度収められた写真のそれが変わることなんて、万に一つも有り得ない。――そう思わなければ。

「……とりあえず、終わらせちゃおうか。残りももう少しだしね」

←Back Next→