Dear blue-3-

「……ふう、おかげさまで何とか片付きました。お待たせして申し訳ありません、せっかくおいでいただいたのに……」
「いや、いい。それより、我が父からこれを預かってきた」

作業をひとしきり終えた三人は場所を執務室のデスク近くに移し、エリオットの言葉で本題に入る。今回の目的は元々ナイトレイ公爵の名代として、レイムへ親書を渡すことにあった。

「――これは」
「どうかしたか?」
「ああ、いえ、すみません。バルマ公への親書ですね。お渡ししておきます」

訪ねる前に予め連絡していたこともあって、レイムの対応は至ってスムーズなものだった。用意されていたいかにも立派そうなファイルにそれを仕舞い込み、レイムはそれをしっかりと抱える。

「つかの間とは言え、私の手元に重要な書類があるかと思うと……。あの方もご自分でご対応なされば良いものを……」

嘆息して、レイムは思考を整理する。――やはり彼らに任せると言うのか、ルーファス様は。

そうこうしているうち、「お疲れ、エリオット」と、大役を終えて小さく息をついたエリオットへ、リーオのささやかなねぎらいが響く。それに彼は少しだけ気恥ずかしげな笑みを浮かべて、「ああ」とだけ言って頷いた。

「そういや、何も聞かされていないんだが、親書の中身は何だったんだ?」

言えないなら構わないが、と前置きしてエリオットはふとこぼす。父の使いを買って出たはいいが、そういえば、内容については何も知らせてくれてはいなかった。もっとも、それ自体が父の答えだという気もするのだが。

「……私も仲介役を任されているだけですので、内容については極秘事項なのでしょう。あの方はご自分がお呼びになったご来客以外とはあまりお会いにならないので、私を通しての対応になってしまうご無礼、公爵には何卒お伝えください」
「ああ、それについては父上もおそらく承知しているだろう。特に問題はないはずだ」

ありがとうございます、と軽く頭を下げて、レイムは形式的に笑ってみせた。どんなに見知った間柄でも決して礼節を欠かさない。これは、とことんまでに公私を混同しない彼だからこそ出来る芸当だ。

「……ところで、エリオット様。折り入って相談があるのですが」

和やかな雰囲気の中、どこか恣意的に冷静さを取り繕って、レイムは話題を転換させる。先ほど怪しまれない程度に垣間見た書類の片隅。あれはたしかに「決行」のサインだ。

「……何だ?」
「申し訳ないとは思うのですが、その……あー、ええとですね」

ふと話を切り出してしまってから、レイムは言いにくそうに口ごもる。この期に及んで躊躇するあたりがレイムらしいと言うか、彼の少々気の小さい面が良くも悪くも、目立つ。

そもそも彼自身、自分が隠し事には向いていないことを自負していた。実際、これは気を許しているせいでも、相手が鋭すぎるせいでもあるのだろうが、彼はザークシーズ・ブレイクに対してただの一度も隠し事を隠し通せたことが無い。

「じれったい奴だな。言いたいことがあるならさっさと言え!」
「ええ……では、その、……女の子を捜していただけませんか?」
「……は?」

唐突な申し出に、エリオットは間の抜けたような声でレイムのそれに問い返す。

聞けば、どうやらレベイユの街のどこかにチェインと違法契約をしたと思われる人間がいるのだそうだ。先日パンドラ内で違法契約を専門に動いている班がそれを突き止めたと言うのだが、いかんせんそれが女の子である、ということしか分からないため、現状ではどうにも動きようが無いらしい。

しかも現在は先ほどの違法契約者の件で、専門の部署はおろかパンドラの人員すら総出であるから、そちらに構える人員が全くといって良いほど居ないのだと言う。

「とは言ってもな……」
「刻印も今すぐにどうこうと言うわけではないので、危険が及ぶようなものではないはずですが……」

必死に訴えかけるような視線にたじたじになって、エリオットは何も言えずに言葉を止める。本来ならザークシーズに頼みたい仕事だったのだと語るレイムだが、この様子を見る限り、どうやら今回も上手く逃げられてしまったということだろう。

今すぐどうこうなるわけではない、とは言ったって、外部の人間を登用しなければならない程度に切羽詰っていると言うことには違い無い。そう遠くない日に刻印が一周することは間違いないのだから、今こうしている間にも、何らかの変調をきたしている可能性だってある。

当然、レイムだってそれを承知の上で彼らにこの仕事を頼んでいるのではあるのだろうけれど。



「こりゃまた派手ですネ。これだけ強そうなのは久々に見ましたヨ」

いやー、レイムさんにお仕事押し付けて来て正解でシタ。そうしれっとした様子でけらけらと笑うブレイクに、傍らのギルバートはやりきれない内心でレイムをそっと哀れんだ。

先ほど急遽命じられた違法契約者討伐の任は、そもそもこれほど大規模な出動になる予定ではなかった。通常ならパンドラの人員をたった一人の違法契約者に幾人も割くことは無いし、そこまで強大な力を持つ契約者が現れること事態が本当に稀なのだ。

だが何故か、今回ばかりは事情が違った。手際良く、次から次へとパンドラの人員が割かれている。先遣隊として派遣した数名をはじめ、死人こそ出ていないが彼らは次々と大怪我を負って戦渦を退き、現在に至っては、いよいよ力のある人間に頼らねばどうにもならないところまで来ていた。

「全く、何があったんだか……」

誰にともなく呟いて、ブレイクは「行きますよ」とギルバートへ一声掛ける。向かう目的はひとつだ。刻印の針が回りきってああなってしまった以上、もう命を絶つことでしか暴走は止められない。

「――ああ、それからギルバート君。無闇に発砲するのはお止めなさいネ?どこにパンドラの人間が転がっているか分かりませんから」
「お前はまたそう縁起でもないことを……」
「またも何も、実際そうなんだから仕方がないでショ。どうしてだかは知りませんが、弱い人たちもみーんなココへ駆り出されちゃったみたいですし」

実際、この状況ではいつ死人が出てもおかしくはない。これまで通り掛けに出会った負傷者はどうやら手加減されているように見えたから、当の契約者もまだ完全に理性を失ったと言うわけではないのだろう。だが、それもいつまで持つかは分からない。

対象者の精神力が強ければ強いほど、アヴィスに堕ちるまでの時間には余裕が出来る。代わりに、その身に宿しているチェインがとてつもなく強い。元来、ヒトの精神を喰らって生きるチェインの力は契約者の意志の力に大きく依存する。内包しているエネルギー量というのだろうか――それが多ければ多いほど、チェインが食い物に出来る力の絶対量が大きくなるというわけだ。

「……ちっ、出撃の許可を出したのはどこなんだ?いくらなんでもこれだけの相手に何の対策も無く大勢を飛び込ませるなんてのは普通、無いだろう」
「んー、そうですねェ……心当たりがない、こともありませんが」

横目を流して、ブレイクは当の人物について回想する。あれは、いつだって口約束だけで動く男なのだ。書面など後から取り繕ってしまえばどうとでもなることを知っている。ましてやこの件の後ろ盾が訝しげに愚痴るこのギルバート・ナイトレイに深く関わりあるあの人物だとすれば、多少の横暴など、すぐに無かったことになるだろう。

そういえばここへ来る前、午後にエリオット様が来られるのです、とレイムが話していた気がする。それならばもう遅い。今頃はこの件も承認事項となって、あのいけ好かない赤毛の口角がつり上がっている頃だ。

「困りますねェ……本当に。聞いた話じゃ、あの公爵はあの二人も違法契約者探しに駆り出すと言う。……親玉は一体何を考えているのやら」

ああ、不愉快だ。吐き捨てるように言ったブレイクを、意図が分からずギルバートが疑問めいた表情で見やる。

「……あの二人?」

問いかけを聞いたブレイクは、我に返って「しまった」と思う。珍しく怒りに我を忘れて、すぐ傍に当家の人間が居ることを忘れていた。いや、それだけならば、もとよりこの男は自分が送り込んだスパイなのだから別段構わないのだけれど。彼はあの義弟のことをそれなりに気に掛けている節があるから、余計なことを吹き込むのもいろいろな面で躊躇われる、というだけの話であって。

「……別に何でもありませんヨ。それより、急いだ方が良さそうです。……ホレ、物騒なものは早くしまってしまいなさい。シッシッ。オニーサンは恐ろしくって近づけませんヨ、まったく」

ネェ、エミリー? そう言って茶化すように袖口をひらひらと振るうブレイクに、ギルバートは拳銃を仕舞い込みながら、この日何度目かの溜め息をついた。あからさまに誤魔化されている。そう理解は出来ていても、勝てないことが分かりきっているから楯突く気にさえなりはしない。もとより、今が争っている場面ではないことだって事実だった。

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