Dear blue-4-

「ったく、何だってオレがこんなことを……」

不機嫌そうに呟いたエリオットは続けて盛大な溜め息をひとつ、レベイユのよく晴れた白昼に躊躇いも無く落としていた。いくらパンドラの人間が総出で出歩いているからと言って、何も外部の人間である自分達を駆り出さなくても良いではないか。理不尽さに頭を抱えたくなりそうな呆れを怒りに変えて、エリオットは不満そうな表情のまま、パンドラ本部をうらめしげに一瞥する。

「……でも、あれを引き受けちゃうんだからやっぱりエリオットは優しいよね。僕なら絶対断ってるよ」
「おまえを基準にするな。そもそもおまえほど何でもはっきり断る奴がこの国にどれだけいるかを考えろ」
「……まぁでも、仕方ないじゃない。あのまま仕事押し付けても可哀想だし」
「それはそうだが……」

レイムの悲愴な表情にはさすがのエリオットも断りきれず、任を受けてしまって後悔するエリオットに、リーオはなだめるようにゆるりと言った。

リーオの他者への恐れの無さと言ったら、底が無いのではないかと思うほどだ。ただ、それでもやっぱり相手を選ぶ。どうやら区分けの照準は身分ではなくて、おそらくは、完全にフィーリングと言ったところだろう。

レイムにはああして気軽に接するが、他の従者――たとえばエリオットの姉であるヴァネッサの従者に対しては、リーオはことさら神経質に対応する。エリオットの義兄のヴィンセントを不得手にするかと思えば、ギルバートとは軽々しく会話していたりもする。レインズワース家の従者であるザークシーズ・ブレイクのことも、見たところはどうやら怖るるに足らずといった様子だ。

身分の違いと言う観点だけで見るのなら、ヴィンセントだっておそらく細かい所作を咎めたりはしない。他人の振る舞いを咎めるのなら、あの義兄は自分自身も罰せられなくてはならない領域に入っているのだから。そもそもそれを言ってしまうのなら、ギルバートだってリーオにしてみれば目上の立場だ。だから、単純にそう言うことではないのだろう。

元々あまり他人に心を開かないリーオだけれど、こうして振り返ろうとすればするほど、彼が辛うじて関わろうとする人間の基準がよく分からない。

「……前々から気になってたんだが、おまえに苦手な奴っているのか?」

耐え切れず、疑問をそのまま声にする。一人は読める。たった今回想したとおり、義兄のヴィンセントだ。ただ、あいつは誰を相手にしても苦手がられる傾向にあるから、これはもう致し方ない。

エリオットは幼少の頃からさしてヴィンセントが苦手ではなかったが、向こうがどう思っていたのかについてはよく知らない。養子に入ったヴィンセントとギルバートは、彼ら自身が家から距離を置きがちではあったけれど、それ以上にナイトレイ家の兄弟達が彼らを避けた。ただ、印象としてはそれほど悪くは思われていないと思う。

「んー、予想してると思うけど、君のお義兄さんはちょっと苦手かな」

弟さんの方ね、と軽く言い添えるリーオは、そのことに対して特に罪悪感を感じている風でもない。エリオットが承知していることを読んでいたのだろう。申し訳ない顔をしたって仕様がないことはもう、十二分に判っているといった様子だ。

「あ、あとフィアナの家の世話役の人たちもかな。あの人たち、片付けろってしつこいんだよねー。僕が読書中だってお構い無しに声かけて来るんだもん、嫌になっちゃうよ」
「そりゃ、あんだけ部屋荒らしてりゃ無理もねぇだろ……」

あっけらかんと言い放つリーオに、エリオットはいつぞやの世話役へ同情するかのような溜め息をついた。リーオが山積みになった本を出しっぱなしにしておくのは、何も今に始まったことではないのだ。放っておけば床が抜けそうなほどの量の本をいつまでも放置しておくのは出会った頃からずっとだし、当然、本人はそれをさして重大なことだとは思っていない。

「苦手、ね……」

呟いて、リーオはそれきり言葉を切った。苦手な人間は、いる。それ以上に嫌いな人間も、いる。――嫌いな人間は、あの毒蛇だ。ふらりと現れては、ただでさえ何も無いあの場所からいろいろなものを奪い去っていこうとする毒蛇。たぶん、エリオットも嫌わずにはいられない人間。僕はそれを告げられはしないけれど、憎悪だけはもう、随分長いこと持っている。

苦手な人間は、決して伝えられはしない。エリオットが誰より敬愛する彼にどうしても不安を抱く、などとはさすがに言えない。本気の喧嘩をしたくはないのだ。くだらないことで言い争って、結果的に笑い合うことならあっても別に構わない。だけど、エリオットにとって何かの信頼が揺らぐようなことを言ったとき、エリオットが何を選ぶか僕には確証が持てない。

それじゃ駄目なんだ。――エリオットとの決別をたぶん唯一、僕は怖れているから。

「どうかしたのか?」
「ううん、別に何でも。……ところでエリオット、機嫌は戻ったみたいだね。まあ君のことだから、ここに来て突っぱねるとは思ってなかったけど」
「勢いとは言え、引き受けたのはオレだからな。いつまでもああだこうだと言っているわけにはいかねぇだろ。……しかしレイムの奴も、パンドラの奴らだってそう遅い戻りになるわけでもないだろう。持ち場の人間が帰るのを待っていればいいだけじゃないのか?目的の違法契約者とやらも急ぎの用ではないと言っていたが……その割には随分焦っているように見えたな」

思い返して、どこか違和感を募らせながらもエリオットは疑問を呈す。別にレイムを疑っているだとか、そういうことではない。任を受けておいて、今更不満を言い続けるつもりだってない。
――それでも。それでも、何故だか一抹の不安感が過ぎる。

「んー、そんな気もするけど、あの人ってそういう性格だと思うよ。やたら生真面目だし」
「ああ、まあな。おまえと決定的に違うのは確かだ」
「……どういう意味、それ」
「そのままに決まってるだろう。あいつは従者ではないが、立場的にはおまえと似たようなもんだ。なのにおまえときたら言うことは聞かない、仕事はしない、それどころかすぐキレる」

到底従者とは思えねぇ。吐息して、エリオットはわざとらしく諸手を上げる。けれど、そんなリーオを選んだのは誰より自分だ。別に、本気で不満があるわけでもない。

いわばこれも「お約束」なのだ。どうしてだか消えてくれない違和感を、無理やり拭い去ってしまおうとするかのような。このやり取りこそがエリオットにとって、既にかけがえの無い「日常」だったから。

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