Dear blue-11-

「……ごめんね、助けてあげられなくて」

少しの間声も無く立ち尽くして、二人は穏やかなふうの少女を見つめる。常闇からは禍々しさが消え失せて、ひどく風が凪いでいた。そんな中、先に言葉を発したのはリーオだった。

「……大丈夫か?」

気遣うようなエリオットの言葉に、リーオはつかの間だけ曖昧な様子で笑って見せる。違法契約者の家族である彼は、罪に身を委ねた少女に何を思うのだろう。そう思いはするけれど、気の利いた言葉が何一つ出てこない程度には、エリオット自身もまた、喪失感から抜け出せずにいた。

危機を救ったはずの少女が何人の人間をその手に掛けたのか、彼らは知らない。知らないけれど、目の前でひとつの命が消えて行ったことは紛れもない事実だった。死という現実。慣れようとして慣れられるようなものでもない、それは、突然受け止めるには少し――重過ぎるほどの現実だった。

「……リーオ?」
「うん、……僕は、大丈夫。エリオットこそ、大丈夫?……泣きそうな顔、してる」

痛ましげにそう笑って、リーオは不安げなエリオットに言葉を返す。無力さに苛まれているのは、おそらく自分よりもエリオットの方だろうとリーオには思えた。割合現実主義的なこの思考は、それほど明確に「悲しい」とか、「悔しい」という感情をもたらさない。普段エリオットに対して表される数々の感情が嘘のように、いわゆる「他人」に対しての感慨は乏しくなりがちだったから。

「……パンドラの人、呼ばないとね。この子、いつまでもこうしておくわけにはいかないから」
「ああ、そうだな……」

空には薄明かりが差して、この街にも夜明けが訪れようとしているのが分かる。先ほどとは打って変わって澄み切った空。ぽつり、と、頬には冷たい感覚。

「雨……?」

ぽたり、ぽたりと滴が落ちて、少女の涙のあとを静かに潤す。雨脚が強くなることは無いままで、ただ、ただ静かに降り続く。空は突き抜けるような快晴のまま――まるで、一時の悲しみを表すかのように。

「うーん……降られちゃったね」

呟いて、リーオは昨日の朝方のやり取りと、いつか読んだ本を思い返す。悲しみの数だけ雨は降る。喜びが訪れるときにも雨が降る。誰かの心が揺れるとき、抱えきれなくなった感情の分だけ空は涙を流すのだと、まるで詩人みたいな物語を描いた著者がかつて居た。

リーオはそれを読んだとき、著者のあまりの夢想家ぶりに辟易したものだった。この世界に人智を超えた何かが起こり得ないとまでは言わないけれど、あまりにお気楽な発想に溜め息が出た。もとより他人に無関心な自分を差し引いても、信じたいと思えるような内容ではなかったのだ、とにかく。

「……やっぱり、雨を降らせてるのはエリオットかもね」
「どういう意味だ」
「さあね?」

エリオットなら、もしかするとあの話をすんなり受け入れたりするのかもしれない。リーオはふと思う。その辺にはあまり転がっていないような、冒険心あふれる物語を好むエリオットは、僕と違ってある部分では夢見がちなところがあるから。

「さてと……どうする?僕が呼んでこようか?それとも、君が行く?」

まさか死んでしまった少女を二人で抱えていくわけにもいかない。どちらかがここに残って、パンドラの人間の到着を待つ必要があるだろう。幸いこの場所は入り組みに入り組んだ路地裏だから、おそらく誰かが紛れ込む心配だけは無さそうだ。

「オレが行こう。おまえよりもすぐに話が通るだろうしな」
「うん。それじゃあ、よろしくね。……僕は、この子とここで待ってる」

いってらっしゃい。そう声を掛けて、リーオはエリオットを送り出す。あとには静寂。未だぱらぱらと降り続く雨が、間の持たない孤独感を僅かに埋める。

「……どうしても叶えたいことがあると、そうなってしまうものなのかな」

路地裏の壁際に、リーオは背を預けて目を閉じる。物言わぬ少女へ向けて発したその声音は、普段のそれより少し感慨の薄いものだったけれど、かえってそれが少しの悲壮さを感じさせた。

「……僕は、どうなるのかな」

答えが返ることは無いと知っているけれど、ぽつり、自嘲を交えてリーオは呟く。否、独り言として呟いてしまえるのは、答えが無いからこそ、なのかもしれないけれど。

このところ少し、何かの違和感を感じることがある。それは別に毎日に支障が出るような明確なものではないけれど、何となくと言うか、自分というものがほんの僅かだけずれているような感覚。原因が何なのかは分からない。ただの気のせいなのかもしれないし、本当に何かあるのだとしたら、だからと言って何が出来るわけでもないのだろうけれど。

それとは別に最近、思い出したようにひとつ気になっていることがある。昨日の朝も聞けずに止めた、何のことはないたった一言。ずっと抱えているくらいなら聞いてしまえばいいと思うのに、今さらになって、こんなに単純なことをエリオットに聞くことが出来ない。そう、「僕を選んだ理由は何?」だなんて、かつては知っていたつもりの事柄を、どうしても確認してしまいたくなる自分がとても不思議だった。

この場所に来る前、エリオットが僕に尋ねようとしたことが何かも分かる。普段の彼は、僕が話そうとしないことについては執拗に言及しようとしたりすることがほとんど無い。けれど時折、僕のことを意地でも逃がさず問い詰めようとすることがある。あれはたぶん、まさにその時だったのだろうと思う。

「……馬鹿みたい」

僕自身がおそらく誰かに不幸をもたらす体質だと言うことは、あの家に入ってからことあるごとに聞かされていた。一度違法契約者がらみの事件に巻き込まれた人間はアヴィスとの結びつきが強まって、チェインを呼び寄せやすくなるのだと。

とは言え、あの頃は別に他人と関わる予定なんかこれっぽっちも無かったから、そのことを大して深く考えたことは無かった。あの家の家族は基本的に皆同じ境遇の子どもたちばかりだったから、寄り集まったところで何かが変わるわけでもなかったし。

そのことの意味を初めてきちんと考えたのは、エリオットが僕のところによく顔を出すようになってからのことだった。あの家の一員になってから、エリオットは「僕」を尋ねて来た初めての人間だったから。彼が僕にとって大切な存在であると認識させられればさせられるほど、僕自身が他人に与える影響が気になった。その頃は別に一日中を共にするわけではなかったから、重大な何かを残す心配まではしていなかったけれど。

あのときエリオットの従者になる申し出を一度断ったのは、冗談半分でもあったし、本気半分でもあった。元々何事にも縛られずに生きていたいと思っていたのは本当だし、ましてや誰かに仕えるだなんて、それこそ雲の上のような話だと思っていた。けれどそれ以上に、僕がエリオットと居ることで彼に与える影響についてが気になった。彼が名実違わず「他人」だったなら、そんなこと、少しも気にせず接していたかもしれないけれど。それでもあのときから既に、エリオットは僕にとって「他人」ではなくなってしまっていたから。

結局彼の従者になることを決めてしまってから少しして、僕は正直にそのことを話したんだ。引き返すなら今のうちだと思ったし、取りやめるなら取りやめるで、エリオットにとっては楽な道なのだろうとも分かっていたから。けれど、それを告げてさえ、エリオットは僕を従者にすると言って聞かなかった。なんでも、「迷信に過ぎないかもしれない理由を盾にして信念を曲げるのは、ナイトレイ家の誇りに反する」んだそうだ。

そう、そんな真っ直ぐでひたむきなエリオットが僕にそうまで固執する理由を、直接聞いたことが無いことに最近気付いて。――それで、それがずっと引っ掛かったまま。

「リーオ!」
「あ、エリオット……」
「悪い、待たせたな」
「ううん。お帰り」

あれこれとリーオが思考しているうち、エリオットと、彼の連れたパンドラの人間が姿を見せる。一瞬で姿勢を正してリーオが少女のところへ案内すると、いくらか現場検証を終えた後、「あとはお任せください」と言って、彼は颯爽と少女を連れ帰って行った。

「……さて、オレたちもパンドラに戻るぞ」
「え……あの子のことは引き渡したんだし、そんなに急がなくても大丈夫じゃないの?」
「……レイムに言いたいことが山ほどあるんでな。あの野郎、このままうやむやにしてたまるか」

静かに怒りを滲ませているといった様子で、エリオットは「行くぞ」と短く一言。降り続いた雨はようやく止んで、まるで――まるで空っぽみたいに透き通った空が、青く、街一帯に広がっていた。

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