薄命なプラナス-2-

「わ、リーオだー!エリオットも。おかえりー!」

扉を開けると、彼らに気が付いた「家」の子供たちが一斉に駆け寄って来る。今ではエリオットもすっかりここの馴染みといった風で、どうやら子供たちの間では、彼らが二人揃っていることは当然である、という認識になっているようだ。

にこりと笑って「ただいま」と挨拶を返したリーオは、かつてよく留まっていた図書室に顔を出す。別に読みたい本があるわけでも、司書がいるわけでもないが、ここへ来るといろいろなものから解放されるような気がした。

「久々に来たけど、変な感じ。家……なんだけどね、一応」
「一年経ってるからな。それだけ経てば感想も変わるだろ」
「そうかな。……うん、そうだね」

生返事を返して、リーオは何となく狭い室内を一周してみる。どことなく落ち着かないのは、本当にここを長く空けたせいなのだろうか。それにしては、妙に心がざわつく気がする。何がおかしいとは言えないけれど――そう。以前は単に、自分がこの家の空気に慣らされていただけなのではないかと思えるほどだ。

「そういえば、ずっと不思議に思っていることがあるんだけど」

ふと思いついたような調子で、リーオはエリオットを振り返る。

「何だ?」
「……ここ、歴史に関する本がほとんど無いんだよね。ここ十年程度の本はありすぎるくらいあるのに」

サブリエの悲劇も、ナイトレイ家の隆盛も、バスカヴィルの文献も、アヴィスのおとぎ話も。ここにはそういった類のものが何ひとつ無い。恣意的に置かれていないのではと思うほど――いや、実際にそうなのかもしれないが――徹底して排除してあるように見える。

ここはナイトレイ家が管理する施設だから、いっそベザリウス家の悪評を記した本でも置いてあれば疑いは晴れたかもしれない。けれど、それさえも無い。そうなれば、この家の人間に伏せておきたいことがあるとしか思えない。

そこで、唐突に思い出す人物が居た。自分でも何故今あの人物が出てくるのかはよく分からなかったが、とにかくふと思い浮かんだのだ。直接の面識はほとんど無いし、せいぜい二、三度言葉を交わした程度だったけれど、リーオはあの男が嫌いだった。――おそらくはエリオットも。

関係はない、と思いたい。あれは、見ているだけで悪寒の走るような男だったのだ。何度かこの施設に顔を出していたこともあるけれど、そういえば、それが何用だったのかはよく知らないままだった。あの頃は自分以外の何に対してもあまり興味が無かったから、来客に声を掛けることもなければ、あえて近付くこともしなかったせいだろう。

どこだったかの新興宗教の代表をしている、と以前エリオットに聞かされた気がする。どうせ、これからも関わることのない人間だろう。あったとしてもエリオットの母親の件。――それだけだ。余所の国の人間だというから、この施設に来たのだって、たぶん見当違いな観光か何かなのだろうと思う。

「――そういえば、部屋に置きっぱなしにしてるものがあるんだった。取りに行ってもいい?」
「構わないが……何だ?」
「写真。ここの皆で撮ったのが一枚あるんだ」

長らく部屋にそれを置きっぱなしにしていたことについては、つい最近気が付いた。別にこの施設の人たちをおろそかにしていたわけではないけれど、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていたのだ。

いつだったか面倒を見てくれる世話役の誰かが新しいカメラを買ったとかで、たまたま全員揃って撮った写真がそれ一枚だけあった。普段から写真はあまり撮らなかったから、たぶんこの上なく興味無さそうな顔で写っているだろう。当然だけれど、あの時はまだ眼鏡もしていない。

「……昔は大っ嫌いだったんだよね、写真って」
「何でだよ?」
「前に言ったでしょ。……世界を視たくないって」

エリオットは分からなくっていいんだよ、と、あの時そう言ったのはリーオの方だった。だって、伝える必要性を感じなかったのだ。自分の意志として秘めていれば何の問題も無いし、伝えたからといってどうなるものでもないとずっと思っていた。

今は、それが少し揺らいでいる。――いつか話してもいいと思うような気もする。

「僕は世界を視たくないけど、写真には逆に視られてる。それもね、あんまり好きじゃなかったんだ」

意味が分からない、といった風なエリオットに、リーオはゆるく笑ってみせた。こうしてエリオットと一緒に居ると、いろいろな意志に綻びが生まれる気がする。視たくない、とあれほど頑なに思っていたのに、最近ではそれにさえ、あまり執着が無くなってきたような感じがしているからとても不思議だ。

――エリオットと一緒なら、自分から視る世界も、そんなに悪くないんじゃないかって気がするんだ。

「……ああ、あったあった。懐かしいな。……うん、懐かしい」

件の写真を手にとって、リーオは眼鏡の奥で目を細める。特に断りなく部屋に続いたエリオットも、遠慮なさげにそれを横から覗き込んだ。一時期散々出入りしていたこともあって、ここはすでに勝手知ったる他人の部屋だ。

「眼鏡に慣れると変な感じだな。最初は確かにこれだったんだが」
「もう一年も経つからね。でも、こっちの方が楽は楽だよ。やっぱり眼鏡買ってもらって良かっ――」
「――リーオ!いる?」

言い切る前に、バン、と開いたままのドアをさらに音を立てて開いて、動転している風の世話役が飛び込んでくる。何事かと二人が固まっているうちに、彼女はまくし立てるように口を開いた。

「子供がひとり居なくなったの!あの子が奥に続く道の方に向かったのを見たって…!」
「何だって!?」
「き、気が付いたらいなくて……私、どうしたら……」
「……ここに居て。探しに行ってくる」

一言残して、リーオは部屋を飛び出すように出て行った。すかさず後を追いかけるようにして、エリオットもありったけの勢いで叫ぶ。

「待て、……おい、リーオ!」

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