薄命なプラナス-5-

「おや、レイムさん。こーんな花盛りにお仕事なんて、相変わらず真面目なんですネェ」
「お前が働けばもう少しましになるんだがな、ザークシーズ」

呆れた調子のレイムは、溜め息を落として目の前の書類に判を押した。もう何枚目かも知れないそれは既に流れ作業と化しているが、それでも一応内容には目を通す。ここ最近では個人で簡単に処理出来そうな紙切れ一枚までレイムに回ってくるものだから、彼の作業量はいつだって尋常ではない。

「黙っていればアナタの存在感なんて薄いんですから、そのまんま無理に居場所を見つけようとしなければ良いんですヨ。それをわざわざあちこちで良い人オーラなんて振り撒くから、結局仕事が増えることになるんデス。……知ってました?」
「そう思うなら少しは手伝って行ったらどうなんだ。第一、自分で請けた仕事もあるが、この中の三分の一は間違いなくお前がどこかから持ってきた仕事だぞ。どうせ暇なんだろう、お前」

昔馴染みのよしみで――いや、本人にそんな意識があるかは知らないが、ブレイクは常日頃から、レイムに仕事を押し付ける傾向にあった。非戦闘要員のレイムに対してブレイクは戦闘要員――ひいては諜報活動にも重宝されるから、ある意味調和が取れているような気もするのだが、彼には仕事を託すという行為に対する罪悪感がまるでない。

その象徴がこの憎まれ口だ。彼はレイムが存在感の希薄さを気にかけていることなんて当たり前のように知っていたし、それを承知で面白そうにレイムをからかう。その笑みが心からのものであることに安堵はするが、絡まれるたびに気苦労は耐えない。

「エー、ワタシは暇じゃありませんヨ。……これはホントです。ちょっとネ、サブリエに行かなくてはいけなくなりまして」
「サブリエへ?……今からか。何でまた」
「……ちょっとした諜報活動デス。えー、あの少年、なんて言いましたっけ?エリオット=ナイトレイの従者の」
「リーオ、という少年か?一年前にエリオット様の従者になったと言う」
「あー、そうそう、彼の故郷にね、ちょっと用事があるんです」

ナイトレイ家の嫡子、エリオット=ナイトレイに従者が付いたと聞いたのは、つい半年ほど前のことだった。実際には一年前から仕えだしていたらしいのだが、もとより従者は主人と交わす個人契約みたいなものだから、ブレイク自身はそれを長いこと知らないままで過ごしていた。彼らは別に何処かの機関への登録を必要とするわけではないから、詳しいことは調べようと思わなければ情報が届かないのだ。

――いや、彼がただの貴族の子供だったなら、知ろうが知るまいが、ブレイクだって気にも留めずに流しただろう。四大公爵家のひとつであるナイトレイの嫡子、エリオット=ナイトレイ。記憶によれば彼だってもう十五にもなるのだし、従者の一人くらい居たところで何らおかしいことは無い。

ブレイクにとっての注目すべきは「彼が従者を付けた」と言う大枠の事実ではなくて、そのリーオと言う少年の出自だった。先日、ひょんなことから彼がサブリエに位置するフィアナの家――噂に聞く、ナイトレイの管理する施設――の出身だと知ってしまったものだから、いろいろと調査してみようと思い至ったのだ。

「彼に何か問題でもあるのか?」
「ああ、いえ、別に彼が直接どうのこうのと言うんじゃありませんヨ。ワタシが気になるのはナイトレイの溝ネズミの方です。――あの男がわけも無く平民を嫡子の従者にするとは思えない」

もっとも、本人に興味が無いかと言われれば、無い、と答えるわけにはいきませんが。その一文は内心だけで呟いて、ブレイクは続ける。

「それで、あちらまで出向いて少々調査でもしてみようかと思ったんですよ。聞くところによればパンドラの人間はそれなりに自由に出入りしているみたいですから、まぁ、怪しい動きさえしなければ特に問題ないでしょうし」

ナイトレイ家に直接踏み入ることは出来ないが、あの場所を介してなら何らかの情報を得ることが出来るかもしれない。ましてやそこがサブリエとあらば、失われた百年前の真実についての情報が手に入る可能性も無きにしも非ずだ。それを考えれば、いっそ公爵の件を抜きにしても行ってみる価値はあるだろう。

「……平民出と言うのはそんなに引っ掛かることなのか?平民出と言うならお前だってそうだろう。それに、ナイトレイ家はギルバート様やヴィンセント様を養子にお迎えされてもいる。あまり体裁にこだわる家とは思えないのだが……」
「甘いですねェ、レイムさんは。そんなんだから心やさしいチェインしか来てくれないんですヨ?」

疑問を投げ掛けるレイムの言葉に、からかうように笑ってブレイクは言った。かつて、この友は自分に戦う力が与えられなかったことをことさら嘆いていた時期がある。けれど、ブレイクにとってそれはただ安堵であって、決して落胆には成り得なかった。

根本的に彼は血を、罪を抱えて歩くような人間ではないのだ。もちろんこんな時代、こんな組織に身を置いているくらいだから、誰かを殺めず生きていけるとは思っていない。けれど、チェインと言う非道な存在でまで罪を犯さず済むのなら、それに越したことはないではないか。

「そもそも私とギルバート君は立場が違いますから。私は一介の使用人に過ぎませんが、彼は養子として迎え入れられているんです。――その意味が分かりますか?」
「いや……」
「レインズワース家はたしかにギルバート君をナイトレイ家へ養子にやるよう手引きしました。内情としては私が送り込んだも同然ですが、公的にはそういうことになっていマス。要するに、あの男は体裁を気にするからこそ、ああもすんなりとあの提案を受け入れたんですヨ」
「……つまりヴィンセント様との関係に目をつけたと?」
「そういうことです。兄弟の縁を間近で引き裂いたと知れれば、表社会で動きにくくなることは明白ですから。……逆に受け入れれば美談になる、という算段ですヨ。裏社会ではそんなこと、微塵も取り沙汰されはしませんけどね」

嘲るように笑ってブレイクは言った。表面上さえ美談に仕立て上げておけば、あとは内部で何をさせていようが外部へそれが漏れることは無い、というわけだ。年端も行かない気弱な養子にパンドラが、公爵が、いくら理不尽な暗殺を命じていようと、根っからの身内でない彼は四方から見ぬふりをされる。

結果、ナイトレイ公爵家の対外的な評価は上がる。ほんの小さな子供をひとり受け入れるだけで、かの公爵は少なからず人情味のある人間だと思い直されたことだろう。また単純に、チェインと契約し、戦う術を叩き込まれているギルバートは有事の際の戦力にもなる。もちろん、それは彼が成長した今だから当てに出来る戦力で、当時から予想されていたものではないのだろうけれど。

――そして、だ。何よりの強みは彼を同家に据えることで何かと差し障るであろうあの男の――ヴィンセントの介入を最小限に抑えることが出来ることだろう、とブレイクは考えていた。全く、かの家にとっては良いこと尽くめも良いところ。今更ながら、相当な餌をばら撒いてきてしまったものだと思わなくもない。

「……と言うワケで、そんなんだから、気になるんですヨ。たとえ彼を従者に起用することがエリオット君のたっての希望なのだとしても、あの公爵がそれをあっさりと容認するとは思えないんです。あの家には子飼いの人間なんてごまんといるんですよ?それなのに、わざわざ自らが管理する孤児施設の少年を従者に認めたりするんでしょうかね」
「それは……」
「……場合によっては、もう一人の溝ネズミの動向も探らなくてはいけませんネ。私としては顔を付き合わせることすら御免被りたいのですが、致し方ないでしょう」

言いながら、ブレイクはあの日アヴィスで出会ったあの子供の姿を思い返す。血に濡れた彼の姿は一方的に視認したものだったけれど、遠巻きにも尋常のものではなかった。おぞましい空間にも不似合いにならないほど狂いきっていたあの男は、今も逃げ込んだこの世界で暗躍を続けている。

「しかし、同じ家の中でそう画策などするだろうか?すぐに足が付きそうな気がするが……」

レイムの言葉へちっちっち、と愉快そうに指を振って、ブレイクはすぐに嫌悪混じりに表情を歪める。

「……あの禍罪の男はそんなに安穏とした人間ではないんだよ、残念なことにね」

呟いて、ブレイクはレイムに軽く手を振り部屋を出た。あの深淵での記憶を忘れはしない。無邪気を装った悪魔のような子供の所業を暴き、立ち上がれなくなるまで追い詰めてやる――。

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